父親失格
「篠原先生、まだ残っていたんですか」
「ああ、ちょっとな。明日から長期休暇だから、引き継ぎ資料を作っていたんだ」
「あいかわらず、水も漏らさない真面目さですね」
連休の前日、医局で作業をしていると、仕事を終えた後輩の女医が戻ってきた。後輩はわたしの資料を見るなり、驚きと呆れの色を浮かべた。ここまでしなくてもと言いたげだ。わたしとしては、申し送りに手違いがあっては困るので、当然なのだが。
「篠原先生は、日中も緊急当番でしたよね。働き過ぎです。休憩してください」
時計を見遣るとすでに一九時を超え、遮光カーテンの向こうには夜の世界が忍び寄っている。
「そうだな。息抜きがてら散歩してくるか」
根を詰めすぎて目が霞むのも事実で、わたしはしばし作業を中断することにした。気分転換に外の空気を吸いにいくことにする。階段を降りて突きあたりの鉄錆た扉から一歩外に踏み出すと、茹だるような暑さに思わず閉口した。
真夏日は過ぎたはずなのに、気温は依然として高止まり、外気に触れた皮膚からは玉のような汗が吹き出す。病院内は空調が利いているだけに温度差がきつい。救急外来に熱中症患者が途切れないわけだ。
わたしは教育棟に向けてふらふらと足を向ける。救急車のサイレンの音を除けば静謐な夜だ。
わたしは旅行計画を頭のなかで組み立てていく。運転はかなり長距離になるから、どこの道の駅に立ち寄るか、考えておかないとな。遊園地以外にも色々な観光名所があるようだし、時間が許す限り足を伸ばしたい。帰りのお土産もどこで買ったものか。
病院外れの教育棟には医学生専用の勉強部屋があり、灯りが煌煌と点いている。未来の医療を背負わんとする医師の卵たちがこんなにもいるのだ。高度経済成長の波は去ったが、日本の未来も暗いばかりではない。講義棟を過ぎて駐車場脇をすり抜け、ふたたび医局に戻ると、さきほどの後輩が真っ青な顔で立ち尽くしているではないか。