亡霊酒場
北の港町、海岸通りにブイの灯りを付けた酒場あり……
遠く海鳴りを聞きながら、酒の種類は取り揃え
肴はその日の水揚げしだい、なければスルメか柿の種、
当店はキャッシュで、春夏冬二升五合
「ちょいと邪魔するぜお姐さん。熱燗一本つけてくんな」
「おや、いらっしゃいませ。お客さんイケメンだねえ。何だか俳優の……何だっけ……ココ・玉岡だかに似てないかい」
「……お姐さん。ココ・玉岡は倒産した宝石屋さんだよ。お姐さんが言いたいのは『フジオカ』かなもしかして」
「ああ、そだねえ」
「お客さん、この辺りではあまり見かけないけど、お仕事かい? それとも旅行とか?」
「ああ、ちょっとした野暮用でね」
「あんた何だか懐かしい声の言い回しだねえ、もしかして、北海道出身?」
「時にお姐さん。十数年前にこの近くで起こった『椴法華事件』てえのを知ってるかい?」
椴法華事件の語を聞いて、顔色を変える。
「この辺りでその事件を知らない者がいたらもぐりだね」
椴法華事件とは、北海道渡島支庁のある村で起きた、十四歳の女子中学生がスマホを操作している時に、ビール瓶で頭を殴られて死亡するという痛ましい事件である。
「その時犯人と目された『吉岡純』という男は、当時差別されて迫害を受けていた『アニオタ病』の患者だった……」
かつてアニオタ病は遺伝性のものと考えられ、前世の罪の報い、もしくは悪しき血筋による病との迷信があり、それを発病することは少なからぬ罪悪を犯すことと同義とされた。もし一人でも親族に発病者が出ると、その家は共同体の中で一切の関係性を断絶され、時には一家離散に追い込まれたという。
「そして吉岡純は、犯人として検察から起訴されたあと、ロシアに逃亡して行方不明になったと言われている」
「一つだけ訂正させてもらっていいかね、吉岡純はロシアに逃げたんじゃなくて、村の仲間に売られたんだよ」
「……と、言うと?」
「吉岡純はずっと村の中で厄介モン扱いされていたからね。そもそもスマホの事件だって冤罪だし、追い詰められた上に村人に騙されてロシアに金で売られたのさ」
「妙に、詳しいね」
「吉岡純はロシアのシベリアの収容所で命を終えたと言われている。まあ人身御供みたいなもんだねえ」
「お客さん、この話をしにわざわざ来たのかい。もしかして刑事さんか、マスコミ関係の人?」
「いや、恐らくお姐さんの心を開きに来たんだと思う」
「へええ? お客さんおかしなことを言うねえ。なんで見ず知らずのあんたが、しかもこんな冤罪事件のことを語らせて、心を開くって? どうして?」
「それは、あんたがその吉岡純の母親だからだよ」
『お姐さん』は急に店仕舞いを始める。
「あー、今日は嫌な日だねえ。この店は今から男子禁制にするからね。六根清浄……六根清浄……」
そのとき、その『フジオカ』という男は急に声を荒げて叫んだ。
「客がまだ食ってんでしょうがああああ!」