心に歌を
カラオケが世に出たのは1970年代以降です。それ以前は歌声喫茶があり、お客さん全員が歌うことを想定した喫茶店でした。1955年(昭和30年)前後の東京や大阪などの都市部で流行し、1970年代にはほとんど見かけることがなくなりました。
カラオケは音痴の私にはまったく無縁でした。小学生の音楽の時間に歌唱力の試験で先生のオルガン伴奏に合わせて人前で歌ったのですが、そのことが音痴の私には大変苦痛で、高校時代に音楽を専攻しなくなり大変嬉しかったのを覚えています。そのため飲む機会があってもカラオケのない店が好みでした。人前で歌って何が楽しいのかと長年思っていた私が「歌好き人間」になるとは本人さえも夢にも思っていませんでした。
きっかけは高校の同期会での度重なる飲み会で歌わされたことです。音痴の人がカラオケで歌えば飲み会が盛り上がります。レパートリーは『くちなしの花』のみでした。妻や娘に特訓を受けて少しでも上手く聞こえるように風呂場で練習もしました。自分でいうのも変ですが、やっぱり音痴や、音程が狂っていると、自分でも確信しました。
その私が50歳近くになって、いまさら歌手にはなれないが歌に惚れようと、遅咲きのカラオケ開眼でした。歌に惚れるとは私流に歌詞(詩)を解釈し意味を理解することです。そして私が選んだ歌は人生を語った、なぜか歌唱力を必要とする難しい曲ばかりでした。私にはテンポの速い現代風の歌は悲しいかな、ついていけません。
いまでは歌のレパートリーも20曲余りあり、嬉しいことか、悲しいことかわかりませんが世の皆さんに歌で迷惑をかけなくなったと自負しています。私は音痴の人でも歌は上手くなる実例で、人はなにごとも努力、努力をすれば結果が表れます。
歌に挑戦しだした頃は『若者たち』をよく歌いました。カラオケの点数評価で高得点がでるだけでなく歌詞も気にいっていたからです。信じられないでしょうが、100点満点が何度も出たのは事実です。点数に関しては歌が上手だから高得点が出るとは言えません。誰が聞いてもプロかと思うほど歌の上手な親友が『若者たち』を歌えば60点前後で得点には大いに疑問が残ります。
この歌はタイトルのように青春時代そのものの詩かもしれませんが、50才を越えて歌えばなんとなく意味深な詩だと思っていました。ぜひ機会があれば歌って歌詞の意味をよく考えて下さい。