第一章 発症~その瞬間は突然訪れた~急性期治療
意識が少し戻った時、私はMRIの検査をするために機械のベッドに寝かされていた。「今から検査で画像を撮りますから、動かないでくださいね」と看護師に言われた。
「あぁ、はい……」
しかしその時、猛烈な吐き気に襲われ、「あの……吐き気が……」と私が訴えると、看護師が急いで嘔吐できる容器を取りに行かれたが、間に合わなかった。私は咄嗟に、機械やベッドを汚すより、床の方がまだ片付けやすいだろうと思い、「すみません!」と腹筋で起き上がり、床に嘔吐した。意識朦朧としながらも何度も謝った。
その後は、またそのまま意識を喪失した。気付いた時は、集中治療室のベッドの上にいた。そこは窓もないので、時間の経過が分からなかった。倒れたことは分かっていた。だから、病院に運ばれたこと、左手に点滴をされていること、最小限の現状を理解していた。分からなかったのは、私の身に何が起こったのかということだった。
母が顔を出してくれたのがいつだったのか、ただ意識が戻ったことだけは確認できた。自分に何が起こったか、少し説明を受けた。
動かない右半身に、『大変なことになってしまった』という思いが頭を駆け巡る。しかも、意識は朦朧としていた。私は、脳の中心の脳幹近くにある、左視床という場所に出血を起こしていた。
幸いなことに、わずか6ccで出血が止まり、点滴治療のみで済んだ。後から聞いたのだが、出血量が多いと開頭手術を行い、溜まった血を抜かなければならなかったそうだ。
医師から、「ここ2、3日が山場です。助かっても会話はできないかもしれません」と、母には説明があったようだ。母は、何があっても、あまり人前で動揺を見せるタイプではない。病院で初めて意識のない私を見て、事の重大さは分かっていたが、泣き叫んだり取り乱したりすることはしなかった。
しかし、一旦帰宅し、すぐに父の仏壇に手を合わせ、『何とか助けてやって……』と頼んだそうだ。倒れて3日目だっただろうか、救急搬送された時にお世話になった上司とKさんが病院に来てくれた。私は、呂律が回ってなかったと思うが、「すみません」「ご迷惑おかけしました」などと話していたそうだ。そして「今、何時?」と、しきりに時間を聞いていたらしい。
倒れてからどれくらいだろうか、意識が戻ってから集中治療室の看護師達から同じ質問が定期的にされ始めた。
「今日は、何日ですか?」
「ここはどこですか?」
「生年月日は?」
「5月…」(※本当は12月)
「病院?」
「……」