我が青春の日々
高校時代は生徒急増による新設校ラッシュでその新設校に入学しました。広い校庭に新しい校舎が1棟だけ建っており、その後2期、3期工事で次々と校舎や食堂が建設され、卒業直前にかろうじて完成した体育館で卒業式が挙行されました。
当時は『高校三年生』を歌った舟木一夫や西郷輝彦、橋幸夫の初代御三家の歌謡曲がヒットした時代で、毎日曜日に放映していた『ロッテ歌のアルバム』や『シャボン玉ホリデー』を見るのが楽しみでした。
そのころファッションではアイビールックやミニスカートが流行り、メンズファッションの第一人者と言われた石津謙介さんが創業したVANやJUNのブランドが高校生や大学生に流行りました。ただ販売価格は学生にとっては高額で、私はデパートでアルバイトをしたときに定価の半値近い店員用割引価格で購入したのを覚えています。
青春時代のこの憧れのブランド名が印刷された紙袋を小脇に抱えて街を歩くことがファッションでした。高校時代の記憶は思い出つれづれに……。
高校時代はよく灰色の生活にたとえられます。このことは大学受験地獄から連想されています。しかし、私は良き先生と友人に恵まれて3年間の楽しい高校生活を送れたことに深く感謝します。
入学時の1963年(昭和38年)にタイムスリップすると、京阪電鉄枚方市駅前には枚方三越(現在は廃店)はまだ建っていなくて、道は駅前開発以前のため幅が狭く、車がすれ違うのも難しい状況でした。現在の枚方消防署から高校が一望でき、辺り一面たんぼでした。
1年生の体育の授業には、まだ開通前の枚方バイパス(国道1号線)を走りました。2年生のときに待望の食堂が開設され、プレハブの建物でメニューもカレー、うどん、パンと内容も他校に比べお粗末でしたが、非常に嬉しかったです。
入学した年の11月22日に冷戦時代の緊迫した国際社会の状況下に誕生した若きアメリカのヒーロー、ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで銃により暗殺されてこの世を去りました。
それは日本とアメリカが歴史上初めて衛星放送で結ばれた日のトップニュースだっただけに衝撃が走り、記憶が鮮明に残りました。いまではテレビのニュース番組が地球の裏側の出来事をリアルタイムで放送していますが、当時は信じがたいことでした。後年弟の元司法長官ロバート・ケネディがロサンゼルスで同じように暗殺されて悲劇の兄弟といわれました。