狼の唄
ベスは恐ろしい夢の中にいた。
薄暗い廃墟となった古城の長い廊下をひとり歩いている。ベスは何かを探している。しかし自分が何を探しているのか、よく思い出せない。あまりの恐怖に意識を集中させることができないのだ。
廊下の先は暗闇が続いている。木製の古いドアが両脇に次々に現れる。彼女はいずれかのドアを開けなければならない。今か、もう少ししてからか、いつかは開けなければ。
時々隙間風の音が、老婆の歌声のように聞こえてくる。風の音だとわかっているのに、恐ろしくて叫び出したくなるのを必死に我慢している。
一度叫んでしまったら、ドアというドアから魔獣がいっせいに飛び出してくる。わかっている。奴らはドアに耳を当てて、私が叫ぶのを待っている。
突然、通り過ぎたばかりの右側のドアが鳴った。
ドン! ベスは冷や汗をかいて目を覚ました。たき火の炎が目の中で揺れている。自分のいる場所に心が戻ってくるまで、しばらく時間がかかったような気がした。
顔を上げると、すぐ近くにラウルが座っている。
「ラウル……。」
かすれ声で言うと、彼の手の平がベスの口元を覆った。ラウルは鋭い視線で前方を睨にらんでいる。彼は、人差し指を自分の口元の前に立て、声を出さないようにという仕草をした。にわかにべスに悪夢の続きのような緊張感が戻ってきた。
空を見上げると、うっすらと紫がかった雲が見える。明け方が近いのだ。ベスはゆっくりと音を立てないように体を起こした。ラウルは警戒した眼で森を睨みながら、ベスの方にゆっくりと顔を近づけ静かな声で言った。
「べス、乗馬はできる?」
ベスは真剣な顔でラウルの横顔を見て答えた。
「できるわ。何? 狼?」
「おそらく。五頭はいる。」
ラウルは森の暗闇を見つめたままベスに言った。
「僕の馬に乗って。名前はビクタス。小さい頃から僕が世話をしてきた。」
ラウルはベスの方を見て、笑みをつくった。
「心配しないで。近衛の馬だ。僕よりずっと危険な経験をしている。ゆっくり、なるべく大きな音を立てずに乗って。」
ラウルの目は再び、周囲を警戒して見回した。
「僕が逃げ道をつくるから、合図したら馬に乗ったままできるだけ早く僕の方へ戻ってきて。」
「あなたも一緒に乗って二人で逃げるのね。」
ベスが言った。
「そうだ。」
「わかったわ。」