「蝶々夫人」のプリマドンナ三浦環。
最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。
本連載では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の生涯を、音楽専門家が解説していきます。
音楽評論家・田辺久之氏の著書『音楽のジャポニズム!~考証・三浦環』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ三浦環を徹底解説! 本記事では三浦環の音楽書『世界のオペラ』のゴースト・ライターである千葉秀甫について解説していきます。
【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない
千葉秀甫
さて明治四十二年の夏ごろ、環の前夫藤井善一が離婚後、富士見町の旅館で彼女と再会し同郷の三浦政太郎とまちがえられて新聞にゴシップ記事が出た。
この「雨の日の相合傘」の記事を書いたのが報知新聞記者の千葉秀甫(明治四十四年頃から秀甫を用いるので本論もそれに倣う)であると環は思いこんでおり、この記事が彼と環の出会いのきっかけとなった。
この環のいう報知新聞の記事を捜すべく国立国会図書館の新聞閲覧室でマイクロフィルムを丹念に相当な根気強さで調べてみたが見つけることができず、彼が報知新聞の記者を名乗って記事を書いたかどうかは確証が得られなかった。
古谷綱正(一九一二〜一九八九)は秀甫を国際新聞協会員千葉秀峰としているが、語学に堪能な彼は外国語教授の傍ら外電や海外情報等の翻訳をし嘱託記者の立場で報知新聞社に関係していたとも考えられる。(39)(40)
秀甫は語学生から畏怖されるほどの才覚でドイツ語の千葉先生として夙に有名であった。
(39)古谷綱正「実説三浦環─近代美人伝─」(人物往来第三巻第一号)昭和二十九年一月一六一ページ 国際新聞協会は明治四十二年五月わが国の言論界の要人、内外の記者が参集して盛会裡に発足した。
(40)報知新聞社社史等に千葉秀甫の名前は見当たらない。『黄禍白禍未来之大戦』において共著者田中花浪は報知社樓上にてと署名しており、秀甫は花浪を同僚田中君と書き、自身は飯田河岸にてと記している。
(41)武者小路公共著『滞欧八千一夜』二○八~二一四ページ(暁書房 昭和二十四年刊)
(42)青柳有美「二女史の鼻を見よ」(中央公論第二十七巻第七号)明治四十五年七月一四五ページ
(43)コールドウェル著『伊藤道郎─人と芸術』中川鋭之助訳一五九ページ(早川書房昭和六十年刊)
(44)東京毎日新聞「演劇は如何に改良せらるべきか?」明治四十二年八月三十一日(松本申子著『明治演劇論史七六六ページ)「誤解されたる日本婦人」(女学世界第十一巻第十一号一二五~一三一ページ)のほか「婦人は結婚すべき乎」が国立国会図書館編『著者名典拠録』(平成三年九月刊)同『蔵書目録 明治期第六編文学』(平成六年九月刊)五九九ページにある。