便り(29)
環はロイヤル・アルバート・ホール出演を二週間後に控え、アデリーナ・パッティとステージを共にすることへの心の昂りを、故郷の母や知人にあてた何通かの手紙の中で披露している。
四谷西信濃町十一番地に住む愛弟子の関屋敏子あての書簡は次のようである。
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御機嫌いかが、先日、日本の新聞で敏子さんの蓄音器の事を見ました。何をお入れになったの?
私が帰朝するまでには、私が足駄をはいても届かないほどお背が高くなるでせうね。どんどん背が高くなるやうに運動を遊しませ。
日本人と申しますと、背が低くて、色が黒くて印度(インド)の人や支那(中国)の人とよく間違へられますから口惜しうございます。私の居ります家には犬が二匹と猫が二匹居ります。
皆仲がよろしうございます。敏子さんの猫は大きくなりましたか。英国では決して犬や猫をいじめませんから皆よく人に馴れて居ります。公園の鳩などは人の手の上にのりまして撫でて貰って喜びます。
伯林(ベルリン)では往来で英語を話しますと、直ぐになぐられたり、ポリスに連れてゆかれたりしますが倫敦(ロンドン)では大変寛大で、独逸(ドイツ)人と墺西利亜(オーストリア)人も安全に暮してをります。
ただ此人々は自分の写真を其を証明した紙に貼りつけ常に持ってをりまして五哩(5マイル)以外には倫敦(ロンドン)を出られぬ様になって居ります。此頃は白耳義(ベルギー)や佛国(フランス)から簇々避難民や、負傷兵が参ります。
アントワープが落ちました一昨日は英国ドーバーあたりから、其の砲撃の音が聞こえましたとの事、何しろ三里も先から大砲が飛んで来ますので堪りません。
大使夫人を始め日本の奥様方は自耳義(ベルギー)人の為、皆衣服を縫ふてをられます。私も慈善会の為今度(来二十四日)唱ひます。マダム・パッティも唱はれます。
此の名高い方と同じプログラムで唱ひます事は、私にとっては大変な名誉でございます。皆さんが大変御心配下さいまして日本服で唱ひます。
何しろ衣服は何もかも伯林(ベルリン)に置いてありますので、皆奥様方から拝借して唱ひます。たまき
敏子さま
一昨日にベルギーのアントワープが陥ちたと記してあるので十月九日に認めたものであろう。銀鈴会の門下生で可愛がっていた関屋敏子宛の手紙であるが、またその父、祐之介への音信も兼ねている。
環の夫三浦政太郎が東京帝大の三浦謹之助教授の研究室を追われた後、何かと夫妻の面倒をみた政太郎の恩師長井長義(八四五〜一九二九)宛の環の手紙は次の通りである。
エルザ様は御無事に御帰朝なさいましたか。独逸や此のロンドンでは大変にお世話になりましてありがとう存じます。
其後私はクイーンスホールで唱歌の試験を受けましたら、思ひの外の結果で、チャーチル夫人と仰しゃる奥様が非常に御ほめ下さって早速に来る十月二十四日、当地第一のアルバートホールで兵士のために、マダム・パッティが歌はれますから、私にもその時に日本服で歌って下さいとのおたのみで、私もマダム・パッティなどと云ふ音に聞えた歌ひ手と同じプログラムに入りますことが夢かと思はれます程でございます。