プロローグ
エミリア:わたしはポーランド生まれで、現在、ワルシャワ大学で哲学を専攻していて二〇歳なんだけど…そのことで母親との意見が折り合わず…数日家出して…これからどうすればいいのか途方に暮れているところなのよ。
イサオ:それはたいへんなことだね。子どもと親とか兄弟姉妹の間でもいざこざが生じる事柄はあるからね。若い女性なのに哲学専攻とは珍しいと思うね。ぼくも哲学に関心があり書物を読みながらいろいろと思考してきた。
日本人のほとんどは古代の自然信仰の民族風習である伝統的な神道と六世紀に日本に伝わってきた仏教との影響を無意識的に受けていて、双方を巧みに融合しているんだ。
ぼくは二二歳のときに自身の意思でクリスチャンになったけど、それは「神」の存在の有無を考察する一つの手段だった。日本人にとって神道は多重構造になっていて、民族的風習、政治思想として混在しているため明確に解釈することは困難だね。
ぼくはクリスチャンだと言ったけど、キリスト教の次元はあまりにも崇高なので、日々の生活のなかで実践することはなかなか難しく、自己矛盾とか偽善的である自身に常に葛藤を感じているんだ。ほとんどの場合、自身が生まれた家族や国と地域の宗教とか文化の影響を無意識的に受けているんだよね。これは言語にしても同じことだからね。
それでもね、「神」と「神々」があり、前者の代表的なキリスト教では唯一神の概念で、他の宗教にもそれはあるけど、後者は多神教で許容性があると思う。
これが政治的思想として、唯一論的になると宗教や思想の自由を認めない社会体制が生じた場合、過去の人類史を見ても分かるように独裁的体制になることが多々あるね。