6 ああ桜の人 紫の上
桜に心が騒ぐのは、私たちが、王朝人と同じ心を持っているから――。知らず知らずのうちに、古今和歌集に根差す美意識に支配されているからだと私は思っています。
光源氏の息子夕霧は、ある朝、たまたま、義母紫の上を垣間見る機会を得ました。
見通しあらはなる廂の御座(おまし)にゐたまへる人、ものにまぎるべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふここちして、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見るここちす。
(野分の巻)
義母の姿を初めて見た夕霧は、その美しさに魂を奪われ、父が決して紫の上を自分と会わせてくれなかった理由を理解したのでした。
光源氏のほうも、女楽の夕べにわが妻紫の上の姿を覗き見て、
(紫の上は)様体あらまほしく、あたりににほひ満ちたるここちして、花といはば桜にたとへても、なほものよりすぐれたるけはひことにものしたまふ。
(若菜下の巻)
と、最高の花である桜に擬しつつも、それ以上の素晴らしさだと手放しで賞賛しています。
早咲きの河津桜はすでに散り果て、これから次々に、いろいろな種類の桜が咲きます。御所の枝垂れ、岡崎の早咲きの桜はもう咲いているかもしれない……。あの桜もこの桜も……と気の急く日が続きます。雨はなるべく降らないでほしいもの。
長年住んでみて、京都は、日本一桜の多い都市ではないかという気がしています。