炎天下の武蔵山脈
武蔵山脈は炎天下だった。
最初の二日間は寒いくらいだったようだが、急に気温が上がって、三十度を超しているようだった。サクラの車のある駐車場から山に向かう舗装された細い道を、良典と二人で歩いてみた。
大人の足で十五分くらい。舗装した道が途切れるところからは絶壁になっており、横道の登山道は何の装備もしていない素人には行ける道ではなかった。
そこから見える光景は、青々と木々が生い茂り、もしもサクラが滑落してあの茂みのどこかにいるとしても、あまりに深く広すぎて、捜せないという残酷な現実を、まざまざと見せつけられた。
母・明純と弟・イオリが着いたのは十一時を過ぎていた。それでも点滴を少なめにしてもらい、時間を短くしたので、精いっぱいの時間らしかった。
痩せたな。たった三日で。明純は食べているのだろうか。よく倒れ、点滴していた母で、心配ばかりしていた幼い頃。
父・良典はヒョウゴが小学校三年生の終わりまで、ずっと単身赴任でいなかった。明純は幼い息子三人を抱え、一人で子育てをしていた。ヒョウゴは覚えていないのだが、よく明純が言う。
「私は手が二つしかない。だから、もしもの時、弟二人を抱えて逃げるから、ヒョウゴはおかあさんについてきなさい。自分の身は自分で守りなさい、と言っていた。たった七歳の子に、なんてかわいそうなことをしたんだろう。ごめんなさい」
その後、父・良典が癌に侵されて十年間放射線治療をした時も、明純はヒョウゴにだけ本当のことを話し、弟たちにはそれぞれ十歳になるまで、良典の病気の事は言わなかった。
ヒョウゴが東京の大学に行くことになった時も
「おとうさんの癌、今は落ち着いているけれど、いつ暴れ出すかわからない。もしも再発や転移した場合、私ひとりでは子供たちを大学にはやれないから、申し訳ないけれど、途中で大学辞めてもらうこともあるかもしれないから。それだけは覚悟して行ってね」
と言われた。
三人の息子を東京に出し、学費のために働いてきた明純。三男・サクラだけが、地元に戻り看護師として働くようになったが、ヒョウゴもイオリも戻る気は全くなかった。