京都散文ウォーキング 二〇一七年五月:西陣の思い出

西陣を語るなら、大家夫妻のことを語らねばならない。

僕が入居していたワンルームマンションの大家夫妻は、六十代後半位だったと思う。このマンションには、入居の条件が二つあった。一つは入居者が会社や学校に行って留守中、大家が部屋に入って点検をする。もう一つは、異性の連れ込み禁止だ。

なんでも、風呂の水を出しっ放しで出勤した人がいて下の階が水浸しになったり、マンションの部屋を風俗嬢が仕事に使っていたり、という事があったためとか。僕は何だか息苦しさを感じたが、僕の親は厳しい管理が気に入ったようだった。

とにかく、マンションは希望していた西陣にあり、しかも大学に近いという好立地であったので、ここを棲家とした。

京都人は、余所者に冷たいと聞いていたが、大家夫妻はそうではなかった。大家の小父さんは、厳格な方で、道で顔を合わせると、「まあ、あがりなさい」と自宅に招き入れる。そして一時間、学生にとって学問に励むことがいかに大切かを諄諄(じゅんじゅん)と諭す。僕はといえば、うわの空で辞去するタイミングをひたすら窺っていた。

我が子の学問でさえ、神頼みの僕。それに対し、小父さんの規格外の親身さが、今になって、しみじみと分かる。