受け取らない
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毎日毎日物事は起こり、世界は君にいろんな要求を突きつけてくる。
生きてくのが苦しいと思っている人には、助けになるかもしれない。
彼が、私に、ひどいことを言った。
私は、彼に、ひどいことを言われた。
例えばこの二つの言葉の違いをよく考えてみてごらん。
わかりにくいかい?
それじゃあ、これはどうだい。
彼が、私に、握手した。
私は、彼に、握手された。
どうだい?
二つの違いが、わかったかい?
どちらを君が使うのかで、天と地ほど物事が変わるんだよ。
「彼が私に握手した」は、ただ単に彼の行動を言っただけだ。
でも、「私は彼に握手された」の方は、
私は本当は握手したくないのに、
私は無力だから、
私は抵抗なんてできないから、
私は受け入れざるを得ないから、
私の気持ちなんてわかってもらえず、
彼に握手されたんだ。
彼の取った行動は、全くおんなじだ。
この違いは、
彼が握手しようとした時、「私」が、自ら対等な立場を放棄し、
被害者の立場をとったから起こったことだ。
そうしたら彼は、知らず知らずのうちに加害者になってしまうんだ。
彼が私にひどいことを言った時、
「私」にはあらゆる選択肢がある。
言い返してもいいし、笑って冗談にしてもいいし、無視したっていい。
「私」は自由なんだ。
でも、彼に私はひどいことを言われた時、
「私」は「ひどいこと」を受け取り、自ら被害者になることを決めたんだ。
それは、「私」が自ら選択したんだよ。
いいかい?
荷物だって、送る人と受け取る人がいるよね。
勝手に送られてきたり、嫌なものは受け取らない。
ちゃんと門があり、検閲がある。
「される人」はどこかで、このガードを失ってしまったんだ。
君の歴史の中のどこかに、ガードを捨てた瞬間がある。
もしかしたら、その時は捨てた方が楽だし、うまくいってたのかもしれない。
全てを人に従うっていうのは、ある意味とても楽なんだよ。
自分がどうしようもなく弱い時は、そうせざるを得ないこともある。