四月から徹底した幹部教育が始まった

四月から、幹部候補生百名は一つの班に組織され、徹底した幹部教育が始まった。候補生は、合格と同時に、両襟の砲兵を表す山吹色の襟章の左には固有の三の数字、右には座金の上に星の記章をつけることとなった。

新たな班の教官は、浅川中尉、河野中尉の二人だったが、二人とも幹部教育担当の士官だけあって身だしなみから立ち居振る舞いに至るまで洗練されていた。助教、助手も各中隊から選抜されてきた下士官や兵であり、幹部候補生教育担当のレベルは、三月までの各班担当の者たちとは雲泥の差があるように感じられた。

幹部教育のプログラムには、従来の砲手訓練、乗馬訓練に、観測手及び通信手としての教育が加わった。観測手の訓練はまず目測から始まる。自分と目標物との間を目分量で推測するのである。

次に方眼紙に写景図を書く。大砲の眼鏡は周囲を六千四百ミリに刻んである。自分の正面はゼロミリ、真後ろは三千二百ミリ、左手直角方向は千六百ミリである。

正確な観測を行うためには、この間隔を指で測る技術を習得しなくてはならない。眼鏡の先に手をかざして、人差し指と中指の間隔を百ミリ、人差し指と小指の間隔を二百ミリ、親指と小指の間隔を三百ミリと決めて常にこれによって正確な間隔を把握できるように練習する。