第二章 渡海
伊豆の島々
南伊豆の海に立ち並ぶ岩屏風に守られて、その奥にひっそりと佇む中木から覗き見る式根島は石廊崎から四〇キロメートル程に位置する平たい島である。
当時、ロランなど自艇の位置を示す航海設備を装備していなかった我々にとって島に渡るにはコンパスの二点測定による有視界航法しかない。ガスやモヤで視界が断たれれば自艇の現在位置を測定できず、只ひたすら艇のコンパスを信じて目標まで走り続けるだけである。しかし、島に近づいても目標の島が視界に入ってこないと、島と島の間を通り抜けた事になり、そうなれば広大な太平洋上の迷子となってしまう事を意味する。それは未だ外洋を知らぬ我々にとっては恐怖であった。私は海図で慎重にクルージング計画を立て一九七八年七月早朝、未だ覚めやらぬ中木を出港した。只、気がかりであったのは目的地の式根島が朝靄で目視できない事であった。
目指す目標が見えなければ艇がそれに向かって正しく進んでいるのかどうか知る事はできない。艇の現在位置を確認するには航行中、目標物を数カ所捕まえてハンドコンパスで方位を測定する必要があった。その朝は石廊・式根間の観測点は石廊崎東南東海上一〇キロメートル程に浮かぶ無人島・神子元島しか無かった。
中木を出て直ぐ左に転進し、右舷に浮かぶカツオ島の間のうねりを乗り越えて石廊崎に至り、そこを起点として式根を艇のコンパスで一三三度に定め、いよいよ巡航速度で渡海を開始した。巡航速度とは艇が安定したスピードで長時間走り続ける事のできる速度であり、その速度に航行時間を掛けると進んだ距離が分かるので航海では極めて重要である。
早朝の海は未だ風波が立っておらずベタ凪ぎ状態で、静かな海に流れていくのは心地良いエンジンの響きと後ろに飛び散る波の音だけであったがすぐに南伊豆の山並みが視界から消えいよいよ艇のコンパスだけのコンパス操法となり、艇内には今まで味わった事の無い心細さと緊張感が漲った。
時刻〇七・二○、方位四十三度、朝靄の中にかろうじて神子元島の通過が確認され艇の現在位置を確認できたが神子元は古くから西国から石廊崎を回り江戸湾を目指す船の指針となっていた重要な島である。しかし船から見ると、朝靄の中に突然、海坊主が海中から頭を突き出したような姿をしていてその根元を洗う海流の荒々しさと相まって恐ろしげに見えた。