後輩たちと「アキレス」を組み立て、進水させた。
多忙になればなるほど思い募ったのはあの海の誘いであった。ソ連・北米出張の合間に、私は一人東伊豆の名も知れぬ海岸からシュノーケルで海を楽しんでいたが、かつてアルペン競技者として鍛えてきた自慢の足腰、肺活量が衰えてきたのを感じてスキューバダイビング機材を一式買い揃えた。
しかし、今度はそれが重くてゴロタ石の岩場から容易に海にエントリーできない。そのような時、新聞のニュースで知ったのがエンジンを付けて走り回れるアキレス社のインフレータブルボート(ゴムボート)であった。
私はすぐ購入して当時独身寮のマージャン・飲み仲間の後輩たちを誘い西伊豆の戸田で「アキレス」を組み立て進水させた。その後当分の間、アキレスは私の海の相棒となった。
トレーラーで伊豆半島の東西の海岸を走り回っていたシーガルⅠ号、東京湾、中ノ瀬航路を経て伊豆の網代まで回航したⅡ号の頃から海の仲間が増え続け、遂に雨風が凌げるキャビンクルーザーを買う事になった。そうなればもはやトレーラーで運ぶわけにはいかずマリーナでの保管が必要となったがサラリーマンの私には手に負えない。