【前回の記事を読む】「居酒屋で世界の情勢を知る」ことになったマレーシアからのお客様
第三章 東京
二 魚や次男坊
(一)避難民受け入れ先
私は最初の店に入る時はまず焼き鳥数本とホッピーを頼むことにしている。これで勘定も含めて今後通える店かどうか判断できる。それを注文しておいて魚のメニューを頼むと、今日の魚はと言いながらその日に書いたと思われる品書きを見せてくれた。
見ると種類が多くまた、私が知らない魚が幾つも並んでいる。魚の事ならば誰にも負けないと自負していた私であったがそのわけを店長に尋ねると日本海の糸魚川漁港から直送している地場の魚だと言うので納得した。私は太平洋の魚には詳しかったが日本海の魚については金沢の魚を除いて殆ど知らぬことが多かった。
品書を見ながら幾つかの魚を頼んでみると鮮度がずば抜けて良く、初めて知る味も手伝って実に旨い。一遍に次男坊の虜になってしまった。店長も私のことが気になったのか、今までどこで飲んでいたのかとしきりに聞く。正直に、実は味とめの避難民であると言うと大いに憐れんでくれて今度は取って置きのよく冷えた純米酒を出してくれたがこれがまた実に旨かった。
店のカウンターの奥を覗いて見るとテーブルが七、八席あり、当分の間避難先はここにしようと心に決めた。私が三茶の奥座敷で飲んでいた仲間は会社関係のお客様は元より、高校の同期、大学スキー部、商社時代の仲間、ロシアで仕事を共にした先輩・後輩、そして海の仲間など多彩であった。中でも海の仲間は船外機付きゴムボートから始まって愛艇シーガルで伊豆半島の東から西、更には伊豆七島の島々まで航海してきた仲間であっただけに話は尽きない。
一方、どの飲み会でも乾杯のパターンは決まっていた。つまりホッピーが無ければ始まらないのだ。また、混ぜる焼酎は金宮で、沖縄産のシークワーサーも欠かせない。更にその調合は私が行うことになっていた。仲間の酒の度量に合わせて程よく金宮を注ぎ、絶妙な味に調合して一斉に乾杯し、宴会が始まるのが常であった。