「公立は『オワコン』だ」なんて言わせない! 教育現場にはびこる不信、あきらめ、無関心。そして現場を無視した制度改革――。 社会が目指すべき学校教育とは? 現役教師が解説していきます。
いじめ編~子どもの幸せを破壊する学校の中の戦争~
教師が学校という教育の現場で、いじめと戦う意義は非常に大きいのです。地獄の苦しみを味わっている子どもを救うのか、何もせずに見殺しにするのか、私たち教師一人ひとりにかかっているのです。
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だからこそ、私は教師がいじめに取り組む姿勢をこう考えます。それは、教師が「いじめは、いじめている側が悪い」という考えをもつことです。「いじめられている側にも原因がある」などという考えがあるうちは、いじめはなくならないと思います。
なぜなら、その考えは、いじめる側にとって都合がよく、周りで見ているだけの人が自分の勇気のなさをごまかしている言い訳に過ぎないからです。よく挙がる「いじめられている側の原因」とは、「空気がよめない」「性格が明るくない」「なまいき」「悪口を言う」等々です。
「悪口を言う」などは当然、直すべきです。しかし、「性格が明るくない」などは本人の勝手です。それを欠点とよぶのであれば、この世に欠点のない人間などいるのでしょうか。また、欠点があるからといって、「あいつはいじめられても仕方がない」ということになるのでしょうか。