さて、伊豆半島の西と東を極めた我々は中木を拠点として南伊豆の海を楽しんでいたが眼の前に浮かぶ伊豆七島に渡る夢がさらに膨れ上がった。つまり渡海である。

その頃、万一の時のレスキュー艇であり磯遊びには無くてはならない岩場のベース艇として活躍していたアキレスは岩場で酷使したためか劣化が激しく、穴を塞ぎ続けてもすぐに空気が抜けてだらしなくフニャフニャになっていた。丁度そのような時、東洋ゴムがデュポンの合成ゴム「ハイパロン」を素材としたインフレータブルボートを発売するとの情報を得てすぐに飛び付きそれを手に入れた。

偶然にも、その「ハイパロン」とは縁があり、私の最初の海外出張(米国)がソ連向けブタジエン(合成ゴムの原料)製造工場建設プロジェクトであり、カナダの合成ゴム工場で製造された合成ゴムを原料とした強靭な素材がハイパロンであった。以来、そのゴムボートは私が陸に上がった最後の愛艇シーガルⅤ号に至るまで、ある時はキャビンの屋根に引き上げ、ある時はスターン(船尾)のスイミングプラットフォームに横抱きにして我々と命を共にした愛艇の一つとなった。一方、本艇も遂に雨風が凌げる二十Fキャビンクルーザーとなり、シーガルⅢ号と命名して渡海の準備が整った。