邪馬台国ははたして一国として存在していたのか

『魏志倭人伝』の分析

邪馬台国は九州・福岡県説の根拠

1「女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種又侏儒國在其南」

邪馬台国の東の海を渡ると倭人の国がある。

「渡海」とは大海を横切る意味。陸伝いに航行する「水行」とは異なる。この表現は、九州の東海岸を意味する。奈良県ではあり得ない。

大陸・朝鮮半島と一衣帯水で地勢的に無理がない北部九州。よって邪馬台国の都の東側は国際性のある港を有しなければならない。

昔倭人国は百カ国あり紀元五七年奴国(博多湾周辺の国)王が漢委奴国王の金印を光武帝より授与される。今は交流のある国は三十カ国「今使譯所通三十国」。この中に奴国の存続していることから邪馬台国は北部九州に存在することが証明される。

2「自郡至女王國萬二千餘里」

中国の朝鮮半島にある出先機関の帯方郡より邪馬台国まで一万二千里余りで至る。すなわち倭国に最初に上陸する国は、末盧国まで一万里で、この港から残り二千余里で女王国である。近畿までは一万里以上のはるか先で、該当し得ない。