「公立は『オワコン』だ」なんて言わせない! 教育現場にはびこる不信、あきらめ、無関心。そして現場を無視した制度改革――。 社会が目指すべき学校教育とは? 現役教師が解説していきます。

実際の教育活動の中で輝く「教育哲学」

とても印象に残っているF君の話をします。彼は、いわゆるトラブルの多い子でした。何度も授業を抜けだしたりしてしまうのです。

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ある日、いつものように授業を抜け出して体育館裏にいるF君と話をしました。私は隣に座り、「早く授業に行くぞ」と声をかけました。すると、その日に限ってF君は本心を語ってくれました。

「先生、そりゃ俺だって授業に出たいよ。でも授業に出ても内容がわからないんだよ。先生達が何言っているのかわからないし、指名されても答えられないし。それでも俺は朝から晩までそこにおとなしく座っていればいいのかね。勉強を小学校からやりなおせるなら、やりなおしたいよ」

私にとってF君の発言は衝撃でした。なぜなら、私が今まで経験した「当たり前」が大きく揺らいだからです。

私が初めて勤務した学校は、いわゆる生徒指導の大変な学校でした。大学を出たての私は、生徒がキレて暴れだしたら、「若手は先輩よりも先に体を張って止めに入る」ということを、教えられていました。

当然興奮状態の生徒と接することが多いので、格闘のような日々です。そのため、今思えば必要以上に厳しく、大きな声で叱ることもしていました。

子どもが自分の言うことを聞くようにするため、毎日必死だったのだと思います。そんな姿勢を今でも思い出して後悔することがよくあります。

しかし、実際にトラブルが多発し、学校が荒れた状態になると、わがまま好き勝手に授業を妨害する子どもの横で、真面目にがんばっている子が肩身の狭い思いをしているのです。我慢しているのです。

私は、そういう苦しむ子を守りたい、という思いで戦い、それが「生徒指導」だと思っていました。と同時に、頭ごなしに叱りつけ、上から押さえつけようとすればするほど、子どもとの心の距離が開いていくのは感じていました。