自身の出生に隠された真実を知るために、ある絵を追い続けているエリザベス。奇しくもポルトガルで彼女と出会い、その追跡劇に加勢することとなった宗像(むなかた)。イギリスの高名な美術評論家・アンドレにアポを取り付けた宗像は、一人待ち合わせのホテルへと向かうのだった…。
ミッシェル・アンドレ 74歳。イギリス美術界の長老。
彼はその感情を若い純粋な時代の直感か、思い入れの記憶との遭遇だと思った。ピエトロ・フェラーラという無名の画家の作品に巡り会ったときの熱い気持ちを、追憶として懐かしく思い出してしまったのだと。
ささやかなこととはいえ、この眠れる記憶に灯された仄かな炎が、次第にその勢いを増してこようとは、さすがのアンドレ自身もこのときは全く予想していなかった。
夜遅くロンドン入りした宗像は、エリザベスの手配でメイフェアのコンノート・ホテルに泊まった。ミッシェル・アンドレとの面談は、そこから歩いて数分のクラリッジホテルのロビーで翌朝九時半から行う予定になっていた。
これはアンドレのアパートがメイフェアにあることからも考えられた、宗像に対するエリザベスの気遣いでもあった。
ブルック・ストリートに面したクラリッジホテルは、ビクトリア様式とアールデコ様式が折衷されたデザインの建築として知られていた。フロックコートに身を包んだドア・マンに正面玄関で迎えられた宗像は、若干閉鎖的な感じのする小さい扉を通り抜けた。
玄関ホールには、天井からシャンデリアが吊り下がり、黒と白の大理石が市松模様に貼られた豪華な床にその黄みがかった明るい光を落としていた。ちょうどエグゼクティブ・ビジネスマン達のチェック・アウトと重なった時間帯だからか、ロビーは混み合っていた。
少し早めに着いた宗像は、入り口が良く見えるソファーに身を埋めてアンドレを待っていた。
エリザベスとは、直接ヒースロー空港のチェッキング・カウンターで、遅くも十二時に落ち合う約束を交わしていた。だから、十一時にクラリッジホテルを出れば充分間に合う計算だった。