分業の意義

回転寿司にいくとアジやイワシの寿司は100円で食べられますが、われわれは100円あるいは1000円もらっても、アジやイワシを釣り、シャリとなる米を栽培して寿司を完成させることはできません。

100円で寿司を堪能できるのは、社会の中で分業制度が確立しているからです。アダム・スミスはヒトの中にある利己心が分業を作り、経済的合理性を生んでいると指摘しています。

それでは具体的なケースを見てみましょう(ケース1)。このケースを見ると、効率の悪い肝臓内科医を解雇して、別の内視鏡医を雇用すると言いたくなりますが、それはできないと仮定してください。

[図1]ケース1(機会費用と分業)

外来に1日24人の患者が来て、肝臓内科医、内視鏡医ともに1日8時間労働させるとします。まず、外来業務は平等にこなすべきで、内視鏡医も肝臓内科医も半々として、外来患者数を平等に12人ずつにすると、内視鏡検査の件数は合計で66人です。

しかし、外来患者をすべて肝臓内科医が行うと、内視鏡検査の件数は合計で72人となって、内視鏡件数は6件増加します。内視鏡医師が外来すると、患者1人あたり1.5件の内視鏡件数の機会損失ですが、肝臓内科医が外来すると、患者1人あたり1件の内視鏡件数の機会損失となり、肝臓内科医が外来を行ったほうが機会損失は少なくなります。このことを肝臓内科医は外来業務に「比較優位を持つ」と言います。

分業とは機会費用の観点から生まれたもので、経済学で言う“得意”とは「比較優位を持つ」ことです。

したがって、病院経営においても平等に業務を負担することばかりに気を取られずに、専門分野を専門家に任せて、機会損失を少なくし、組織全体で利益を上げるといった全体最適な視点が重要です。