第2章 社会
生き別れ
「最期の時くらい診て欲しい」
一時入院の受け持ちをやめていた時に言われた言葉です。言われるまでもなくずっと診てきた患者さんが亡くなられる時には看取ってあげたい。医師なら誰でもそう思うでしょう。この時の言葉が重く心にのしかかり、現在30名以上の方を受け持っています。
30年も当院で診療に携わっていますと診てきた方が皆ご高齢になってきました。同じように当方も高齢化し正直真夜中に急変で呼び出されるのは少しつらい。真夜中に仕事し寝ていなくても翌日の仕事は同じように行わなければなりません。勤務医のつらいところです。
でもそんなつらい思いはあっても最期は看取ってあげたいと思う気持ちは変わりません。化石医師が坂下に赴任した時からご主人共々診療してきたAさんとお別れの時が来ました。動けなくなったご主人の診療で何度もAさんのお宅を訪問しました。隣接の長野県の町でもかなり奥まった雪深い地域です。
子供達はよそに嫁いでおりご主人が亡くなられた後はAさんは一人リュックサックを背負って買い物へ出かけていました。「でももう限界。少しでも元気なうちに移った方がいいと思って契約して来ました」
移転する高齢者アパートは隣市に新しく建てられたものです。今までAさんが暮らした地域とは何の関係もなくもちろん知り合いがいる訳でもありません。何の縁故もない地域にたった一人移られるのです。そして私とAさんとの縁も今日で終わりです。
再びAさんに出会うことはないでしょう。Aさんの情報が風の便り以外に伝わってくることはありません。
訴えが多く化石医師やスタッフを随分困らせたHさん。認知症で対応に苦慮したKさん。訪問診療を行っていましたがお二人共ご家族が支えきれなくなって施設入所となりました。その時がお二人との別れの時となりました。