「写真にユーレと書かれていた?」
「エリザベスさん。あなたはアンナさんと本当に良く似ていらっしゃる。私はショー・ウィンドウの外からこの絵を見た瞬間、エリザベスさんだと思い込んでしまったくらいなのです。初めてあなたに会ったときから、どこかで会ったはずという、曖昧な記憶とのすり合わせに時間がかかってしまいましたが……こういうこととは!」
宗像の話に驚きを隠せない様子で聞き入っていたエリザベスは、しばらく迷いに迷っていたようだったが、やがて意を決したごとく、驚愕の事実を語り始めた。
「そういうことでしたか。でもあなたを騙すつもりはございませんでした。私は、ロイド財団会長、エドワード・ヴォーンの娘です」
「あのロイド財団? ロイドの御当主はロイドという名前ではないのですか?」
「ええ、現在は違います。私も母から聞いた話ですが、母がロイド家の一人娘でした。ええ、当時、たった一人残ったロイドの末裔なのです。その母が父エドワード・ヴォーンと結婚してキャサリン・ヴォーンとなったのです。
結婚後、程なくして男爵だった祖父のフィリップ・ロイドが亡くなって、母が全てを継いだのです。でも母は有能な父に組織の運営を全て任せたようなのです。それがロイド家と父の名前が違っている理由ですわ」
「今回のことは私にとっても奇妙な巡り合わせで、本当に信じられない気持ちなのです」
フェラーラの油絵が飾られたエストリル・カジノにあった[男爵のサロン]、の男爵とはエリザベスの祖父だったのだ。そのとき、ギャラリーの当主が紅茶を持って現れたが、二人が何か込み入った話をしていると理解して、こう言って再び奥に引き下がった。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商