第一章 三億円の田んぼ
(六)
「うちの蒸し米は、朝六時から一時間ほどです」
今日の分は、とっくの昔に蒸し終わっている。片付けも終わって、釜場は静まり返っていた。
通路を挟んだ反対側は、一風変わった部屋になっている。蔵の中に、大きな真四角の箱がおいてあるようだ。麹室である。分厚い白漆喰の壁に、囲まれていた。
正面の壁に作りつけたごつい木の扉が、ひどく目を惹く。がっしりとして、高さが低く、大きな閂(かんぬき)に似た取っ手がついていた。氷屋の冷凍室の扉のよう。
酒造りは、一に麹と言われる。麹作りの工程は、重要なのだ。麹室は、酒蔵の心臓部と言ってもいい。
「烏丸さん、玉麹もこの室で作るんですか?」
ずっと黙って聞いていた桜井会長が、初めて質問を口にした。さりげない質問に聞こえるが、目つきが鋭くなっている。内心の関心の高さを、隠し切れてなかった。
「玉麹ですか?」
秀造の表情が、硬くなる。小さく首を左右に振って、否定した。
「専用の麹室があるんですか?」
「はい。そこでないと、作れないもので」
短く、キッパリと答えた。それ以上の質問を、許さない口調。
玉麹は、有名なこの蔵のオリジナル技術だ。よその酒蔵では、真似ができない。獺祭でも作ってはいない。それだけに、桜井会長も気になるのだろう。だが、それ以上突っ込んでは、聞かなかった。おそらく答えも、なかったに違いない。
麹室の隣に酒母室があり、その奥が仕込み蔵だった。
通路の突き当りに、大きな木製の両開きの扉。高さ三メートルほどで、幅も同じくらい。二枚扉で、奥へと開く観音開きになっている。どことなく、格納庫のようにも見える。
秀造が、扉を押し開いた。
体育館のように、天井高く広いスペースに、大きなステンレスタンクが何本も並んでいる。
観音開きの扉は、内側に横木の閂(かんぬき)がついている。スライドさせて、戸締りできるようになっているのだ。古い扉に似合わない、真新しい横木。そこだけ、場違いに見えた。
仕込み蔵は、酒造りの本番場だ。酒母に、米麹と蒸し米と水を足して、量を増やすと、もろみになる。そして、そこからまた発酵させるのだ。
人の背丈の二倍ほどのステンレスタンクが、ズラリと並んでいた。すべて二重構造だ。外側に冷却水を流して、中のもろみを冷やせる仕掛けになっている。
タンクの首にあたる高さに、板張りの床が作ってあった。足場になっていて、まるで、中二階のよう。もろみに関する作業は、ここに上がって行う。タンクをのぞき込むようになっているのだ。蔵人の安全のために。