第一章 三億円の田んぼ

脈が止まり、上下に振れなくなった心電図のライン。
ブルっと、身震いした。この春、このタンクに落ちて、ひと一人亡くなったのだ。
タミ子も同じ思いなのだろう、ジッと記録線を見つめている。瞬きもせず、視線は厳しい。

「秀造さん、ここに見えてるので、何日分なんだい?」
「まる一日分、ちょうど二十四時間になりますね。おかあさん」

「なるほど。前の日の朝から、当日の朝までってことだ。多少の波はあっても、もろみはずっと五度を保ってる」
タミ子は、独り言のようにつぶやいた。特に返事を求めている様子でもない。眉間に皺を寄せ、何か考え込んでいる。

沈黙するタンクを前に、他に口を開く者はいない。酒蔵のホールのような空間に、静寂が満ちていた。針を落とした音でさえ、聞こえそうだ。

その結晶のような静けさを、バタバタとした足音が破る。それに続いて、秀造を呼ぶ声が蔵の中に響いた。若い蔵人が一人、蔵に駆け入って来る。

三十代前半くらいだろうか。痩身で背が高い丸坊主。キビキビとした動作が、感じいい。
蔵人の顔を見て、秀造が肩の力を抜き、微笑んだ。

「ああ、さっきお話しした副杜氏の大野真です」

大野副杜氏が、葉子たちにカッチリと頭を下げて挨拶する。その後すぐに、秀造に向き直った。
「社長、お客さんが見えました。オーガペックです」

その言葉を聞いた瞬間、秀造の顔が強ばった。目を見開き、大きく首を、左右に振る。

「えっ、オーガペックが?!  何で? まだ早すぎるよ。どうして、こんな早く来るかな?」
秀造は、腕時計を確認し、天を仰いだ。

「兵法の教え、敵の不意を討つってやつじゃないですか。リーダーの外国人、孫子好きでしたから」
秀造は、大野副杜氏の言葉にうなずいた。苦虫を、噛み潰したような顔をしている。

「うーん。確かに、やりかねないな。あの連中なら」
ふぅーっと、大きくため息をつく。そして葉子たちに向かって、深々と頭を下げた。
「すみません。予定より早く、お客さんが来ちゃいました。相手をしないと」
秀造が忙しいと言うなら、いいも悪いもない。

ただ、葉子はオーガペックという団体に、聞き覚えがあった。確か、いろいろ悪名がついて回ってるはず。烏丸酒造には、ちょっと似合わない気がした。

皆が、急いで仕込み蔵を後にしようと、動き出す中。一人、タンクを見つめていたタミ子が、大声でそれを遮った。

「ちょっと待った!」