第1章 本書の重要事項

3 有神論・無神論関連事項

重要事項17 神に基礎づけられた最高善の不存在

前項の考察から、神の存在を仮定しても、宇宙万物に対してはもとより、人間・人間界においてさえ、普遍で絶対(不変)なる神に基礎づけられた最高善なるものは存在しないことを一般論として確認しておきます。

従って、神により基礎づけられる最高善を前提に持つ等のいかなる主張も無効になります。例えば、カント(18世紀のドイツの哲学者)の批判哲学の第二批判の「実践理性批判(道徳論)」および第三批判の「判断力批判(美学)」は神の最高善が前提となっていますから破綻します。

重要事項18 神を便利使いすることの禁止

我々は、神を「全知全能にして完全な系」と定義しています。このように定義しますと、神とは何とも頼もしいことこれ以上のものはありません。

しかし、この頼もしい神の属性を便利使いすることはどのような場合も禁止されなければなりません。なぜなら、そのようなことをしても、何の証明にも説明にもならず従って何の意味もないからです。

神の便利使いとは、神の属性の「完全」に依拠して①「神の存在を証明すること」や、「全知」に依拠して②「今現在、わからないこと」を「物事の根本原理は神である」ということで済ましていることです。

①の「神の存在証明」とは、「完全であるから神は存在する」という類の神の存在証明のことです。又、最高善たる道徳法則などは神に基礎づけられたものでなければならないという前提に立ち、その前提が成立するためには神の存在が要請される、というものもあります。神の存在証明につきましては「第3章 有神論と無神論」の中でお話ししています。

②の「物事の根本原理は神である」ということは、神を持ち出さなくては理解や説明の仕様もないからと神を便利使いすることですが、この真なる意味は我々に「わからないこと」を我々がそのように定義した「全てがわかっている神」に置き換えているにすぎませんから、我々に「わからないこと」は相変わらず「わからないまま」であることは最初の出発点から何も変わらず、そこから一歩も前進していないことよりほかのことではないことになります。

根本原理が神であるということは神は根本原理の代名詞にすぎないことになります。そうしますと、根本原理が「何かわからないもの」であれば、神にも「何かわからないもの」以上の意味を持たせることはできません。

つまり、神を持ち出さなければ理解も説明もできないからと言って神を持ち出しても何の理解も説明もできたことにはならないということです。この神を便利使いしている例は多くの哲学説の中にも発見することができます。