第1章 本書の重要事項
3 有神論・無神論関連事項
重要事項17 神に基礎づけられた最高善の不存在
神の便利使いの一例
精神(思惟実体)と物質(延長実体)の二実体論を提示したデカルト(フランスの16~17世紀の哲学、自然科学者で近代哲学の父と呼ばれる)の思想では、精神と物体が調和している根拠が不明であり、しかし、にもかかわらず、(1)現に精神と物体の調和が存在することは、(2)両者の仲介者としての「神の存在」がここから導かれるともいえる。
このデカルトの主張する例では、(1)の理由が(2)であるとする脈絡はなく、神の所為にしておけば便利だからと言っているにすぎません。
4 本書の前提や思想
01 現象の原理 全ての現象は起こるべくして起こっています。なぜなら、起こるべくして起こっているのでなければ起こりようがないからです。すなわち、現象にはそれが生じる解が存在していることは自明です。これを「現象の原理」と呼びます。
この原理は因果律の上にX(間接条件、種や仕掛け、メカニズム)とY(今現在、原因がわからないこと)、そしてZ(原因なき原因)を加えたものです。従って、因果律よりも広い概念になります。この原理の下では、神秘や超常現象等は存在せず、全ては通常現象であることが明らかになります。
Yの「今現在、原因のわからないこと」については、現象が存在しているわけですから、その原因は遅かれ早かれ解明されると考えていいことになります。Zの「原因なき原因」については、原因はあるが人間には発見されていないか、あるいは真にどのような原因もないということに分けて考えることができます。
前者は永遠に不可知なことではなく当座の不可知であり、いつかその原因が発見されて然るべきと考えることができますが、後者は言語明瞭であるがどのように解釈すればいいのかわからず、今現在その真なる意味・内容は不明です。なお、後者も原因はあり前者と同様に当座の不可知であると考えることもできます。(本章重要事項08)
02「宇宙(という現象)はどのようにして生じ、どのように動いているのか?」という問いを説明するためには、「現象の原理」が神に勝る代替案になります。
この問いに対する答えを「神の御業」と言ってみても、それは何を説明したことにもなりませんが、現象にはそれが生じる解が存在しているという「現象の原理」に基づく解を求めれば、その解はこの問いに対する説明を満足させることになります。また、この解と神とを対比すれば、神の何たるかを論じる/知ることにつながるかもしれません。(本章重要事項08現象の原理、第3章まとめ、第7章6−1.宇宙観)
03 神の存在・非存在は不明です。(第3章)
04 神の言葉の不存在 神の存在を仮定しても、神の言葉(啓示・預言・教え)は存在しません。従って、神は、宗教に関与しておらず、自称神の宗教の中には存在しません。(第5章にその証明)
05 上記04から、神と宗教との関係は虚構です。この虚構を真理・真実と妄言している自称神の宗教は妄想です。(第5章ほか)
06 宇宙の根本原理を神と呼ぶことは、神は宇宙根本原理の代名詞になります。その宇宙の根本原理は人間にはわかっていないのですから、「わからないこと」について一気の説明を求めて「わからないもの」を別の名である神と表現しても、それで「わかった」ことにならないことは明らかなことです。(本章重要事項05)
07 宗教の構成要素の真偽・存否は不明 宗教構成の要素である天国(楽園・浄土)、地獄、終末思想、輪廻転生、過去世、未来世、不滅の霊魂等は全てその存在や真なることが証明も反証もできません。従って、神の宗教であれ神観念の薄い仏教などであれ、宗教と言う宗教は理屈の上では全て虚構なる系であり妄想であるということになります。(第5章ほか)
08 人間という夢幻の生命体と虚構の関係 省みれば、我々人間という生命体は夢幻のごとく流れ移ろい行く仮の実在にすぎません。その夢幻が虚構と親しみ遊ぶことは人生をより豊かにするという見方はできます。然るに、虚構それ自体は愛らしい憧憬やロマンですが、虚構を真理・真実であると妄言する宗教というものは妄想であるがゆえに悪しきものとなります。(第4、5、7章ほか)