【前回記事を読む】「伝統的な二管編成って何だ」作曲コンクールの課題を見た作曲家の友人と、顔を見合わせた。この指定、専門家ほど答えに詰まるもので…

第一章 マーラー交響曲第八番

マーラー第八番

八五〇人という数字からマーラーの頭の片隅に、ベルリオーズの『レクイエム』があったのでは、と考えるとワクワクする。もちろんこれは憶測の域を出ないことなので如何ともしがたい。ただし後ほど振り返りたい。

エロス

憶測と言えばこの第八番交響曲成立史には必ず顔を出す、あのエロスの問題に触れざるをえないだろう。妻アルマに宛てた手紙の中でマーラーは次のように語っている。すなわち総ての生産の源にエロスが存在することが、ゲーテ『ファウスト』の最終場面で象徴的に語られる、と書き送っているのだ。

そしてこれと関連して、当初マーラーが第八番を構想したときに、最終楽章を「エロスの誕生」と題したこととを結び合わせる。したがってこの第八番とエロスは深く関わっているというのは推測などではなく、マーラーの関連発言をトレースした常識的な帰結だろう。

ただ、このことと第八番交響曲とを結んで合点がいく人がどれほどいるのだろうか。どれほどの人がこの交響曲の内容と照らし合わせて、右記のことを納得するのだろうか。それにこれは夫婦間の私信だ。それも複雑な夫婦間だ。裏に何が語られているか第三者には不明だ。

もちろんそれを一般論的に普遍化し、作品の誕生の神秘の側面だとすることは可能だろう。また「山峡」または「深山の峡谷」と訳されるゲーテ『ファウスト』最終場面では、マリアの永遠に女性的なものを広くエロスと読み替え、それが高みへと導くとするのも結構だ。これには反対の理由もない。

だがこれをもって第八番の創作上の真髄だとすることには私はどうも抵抗を覚える。この種の話は伝記的意味までは否定しないが、作品解釈上は最優先する必要はどこにもないと考えるが如何なものだろうか。