【前回記事を読む】15時52分、愛猫の心音は聞こえなかった。前脚を握っても、もう握り返してこなかった……私には泣き叫ぶ前に、どうしてもやるべき事があった

悲しみの底で見つけたもの~猫さんが生きた八十九日間の記録

五月二日(金)

豪雨だった。妻はこの雨を残念がっていたが、私にはこれで良かった。この天気が猫さんを見送るに相応しいのだ。晴れた日に猫さんは逝き、葬儀の日に大雨。それは天があまりにも早く猫さんを引き取った事を後悔し、嘆き悲しんでいる証左に思えるからだ。

午後からペット葬儀社の方が来るので、午前中にカフェに朝食を摂りに行く。カフェに入る前に、猫さんの事を考えていると涙が出てきた。こうなるともう駄目だ。自動流涙機が出来上がっている。

思えば、いつも猫さんを心配しながら歩いていた。健康な時は、ご飯を食べていないな、水をあまり飲んでいなかったな、今朝は機嫌が悪かったな、などと。病気をしてからは、帰ったら倒れていませんように、吐いていないかな、下痢をしていないかな、などと。私の頭の中は、いつも猫さんで一杯だった。

午後、ワゴン車で葬儀の方がやって来た。ワゴン車の中には火葬の施設があるのだ。知ってはいたが、実物を見て、本当に燃えてしまうのだと衝撃を受ける。猫さんと本当の意味でお別れするのだ。

雨が容赦なく傘をすり抜けて、私の頭を、肩を、腕を濡らす。でも、これで良い。

火葬前に思い切り泣き、猫さんを車内の焼却炉に入れる。焼却炉に入れるのは妻と妻の姉が買ってきてくれた花、猫さんのお気に入りのおもちゃ、私が書いた手紙、そして息子に書かせた手紙。

息子は妻に怒られている時、何度も猫さんに助けてもらったのだ。沸点を超えた妻に対して彼女は「ミャーミャー」と宥めるようにして、鎮めようとしてくれた。だから、字が書けなくても感謝の手紙は書いて欲しい、そう思っていた。

一時間ほどしてどこかで焼却をしていたワゴン車が戻って来た。大雨が続く中、私も妻も泣きながら骨を集める。葬儀社の方も、骨を集めるのを手伝ってくれた。この方は応対が丁寧でかつ親切だった。素晴らしい葬儀だった。でも、悲しい、猫さんを失ったという現実が襲いかかってくるのだ。

骨だけになった。あのモコモコした毛玉の天使はもういない。もう気にかける対象もいない。私を心配してくれる者ももういない。ぽっかりとした空虚が私を支配する。でも、なぜか悲しみの中に幸福が混ざっていて戸惑う。それは、正しくはなかったかもしれないが、これまで精一杯彼女を愛したからかもしれない。