Ⅲ 飲食業に飛び込む
飲食店の始まり
家族に何の相談もなく即断即決したことが私の人生を一変させる飲食事業の商売の始まりでした。私は今振り返ってみると人の未来なんてわからないものだとつくづく思います。成功するのか失敗するのか、儲けるとか儲けないとかではなく、純粋にそれが自分にとって楽しいか楽しくないかで判断することが人生にとって大事ではないかと思います。
そこから、二ヶ月ぐらい中村市内の兄の同級生が大将をしているお寿司屋さんを紹介してもらい、営業する日は毎日通って開店前の仕込みの時間に包丁の使い方の指導を受けました。当時大将から二ヶ月ぐらいの練習でお店でお客様に料理を出すとかそんな甘いものではないと言われましたが、そんなものかと軽く考えていました。
常識で考えれば料理もしたことがない、包丁もまともにさわったことがない素人が人様の口に入るものを作りお金をいただく飲食店のお店を出すなんて、飲食業をなめていると思われていたでしょうね。今の私なら間違いなく止めます。
指導の合間は水産の2階にあった小さなキッチンで、店舗で出す丼(どんぶり)やお茶漬けなどの試作を毎日のように一人で作っていました。当時水産が販売管理のシステムを導入するのに伴い、高知システムズという会社から毎日のようにスタッフが来て作業していた中の一人に現在の総務課長の筒井さんがいました。よく水産で試食をしてもらいました。
まさか将来一緒に働くようになるとは当時は夢にも思っていませんでした。それから数年後明神丸も事務職員が必要になってきたのと、筒井さんもお子さんの子育てに手が掛かるようになり、システム開発・導入の仕事から内勤の事務職に変わりたいという状況で、当時の株式会社明神食品に転職して来られ、現在は総務の責任者として活躍していただいています。
店舗出店が1月に決まり3月末には高知市内の1Kの賃貸に単身で引っ越しました。黒潮町から高知市内までは当時は車で2時間くらいかかっていました。車で2時間くらいなので漁師に比べれば近いものだと思っていましたが、せっかく一緒になった家族とまた離れて暮らすことになり、祐子が運転する帰りの車の後部座席で長女の智加が泣いているのを見て、こんな何のとりえもない父親でも一緒に暮らしたかったのだと私も泣きそうになったのを覚えています。
長女とは生まれてから中学生まで一緒に暮らしたことが1年くらいしかなかったので、寂しい思いをさせてきたと思います。
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