そして、私は完全に取り乱した。あの人は言葉で答える代りに顔を近づけ、私の唇に何も言わず自分の唇を重ねた。
私の視界はあの人の顔で覆い尽くされた。私は目を開けているのか、つぶっているのかもわからなくなった。ただ全身の感覚で唯一唇だけが熱いものを感じていた。続いて心臓にその熱が伝わった。私の頭がそれをキスだと理解したのは一番最後だった。私はまったく動けなかった。まるであの人のキスによって石に変えられてしまったように。
あの人が顔を離すと、視界が明るくなった。私はやっとあの人の顔を見た。そしてついさっきまで私の唇に重ねられていたあの人の唇を。あの人は微かに微笑んでいるように見えた。
「どうして諦める必要があるの? 今もまだ諦めようと思う?」
私は首を横に振った。さっきは諦めてもいいと思ったが、今は絶対に諦めたくなかった。あの人を離したくなかった。
私たちは再びキスをした。今度はお互いに自然と顔を近づけて。ただ、私の動作がぎこちないのは仕方なかった。それはまだ、私にとって人生で二度目のキスだったから。
唇を離したとき、私ははじめて恥ずかしくなった。あの人とキスをしたという事実に、今さらながら驚いている自分がいた。
数時間前まではあの人はただ車の隣に座って運転する人だった。数ヵ月前まではただ廊下で立ち話をする人だった。一年前はただ教壇の上でチョークを持って授業をする人だった。それが今あの人は私とキスをした人だった。もうあの人との間に壁はなかった。私はキスをすると同時にあの人の心にも触れたのだ。
私とあの人は、その瞬間から生徒と先生ではなくなった。少なくともそれは私たちの関係を示す一つの名称以上の意味はなかった。キスによってすべてが変わったのだ。戻りたくても、もう元の関係には戻れなかった。仮に戻れたとしても、私は絶対に戻る道を選ばなかっただろう。なぜ好きな人と結ばれて過去に戻りたいと思うだろう。私の道は前にしかなかった。
車の中でしばらく私たちは無言で時を過ごした。私は自分からあの人の手を握った。もはや手を繋ぐことに恥ずかしさは感じなくなっていた。わずか数分で、私は変わっていた。いや、私は生まれ変わったのだ。あの人の愛によって。私は別人になっていた。
「そろそろ昼飯でも食べに行こうか?」
私の親指を、あの人は自分の親指で撫でながら言った。
「近くに海鮮丼の美味しい店があるんだけど、魚とかは好き?」
「大好きです」
「じゃあ、そこにしようか」
私が頷くと、あの人は手を離した。私は自分の一部を失ったように寂しくなった。車が動き出すと、私は再びあの人の空いている手を握った。
「運転中も握ってるの?」
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど」
あの人は笑っていた。私があの人の親指をさすると、あの人もさすり返してくれた。私の心は完全に満たされていた。