道路が一車線になり、車は建物と建物の間を縫うように走った。速度は四十キロまで落ちていた。ナビを見ると、目的地まではあとわずかだった。でも、私は本当にこんなところに海があるのだろうかと思った。景色の中に海らしいものを見つけようとしたが、せいぜいイワシ料理の看板を見つけたぐらいだった。
海が見えたのは突然だった。道路が広くなったかと思うと、そこにはもう視界を遮るものは一切なかった。水平線は遠くどこまでも伸びていた。空の青さよりも濃い青が海との境目だった。小学生のとき見た海の大きさは何も変わっていなかった。
私が食い入るように窓の外を見つめていると、窓が音もなく下におりた。途端、潮の香りが全身を包み込んだ。匂いで感じる海は目で見るよりも立体的だった。
車がゆっくり速度を落とし、停まった。私はすぐにドアを開けて飛び下りた。地面に足を着けるとそこはもう砂浜だった。あの人がシートベルトを外している間に、私は海のほうに駆け出していた。波が私に向かって打ち寄せてきた。白いカモメが空から私を見下ろしていた。貝殻が靴の下で音をたてて割れた。私は小学生に戻っていた。
海の前では私という存在はちっぽけだった。でも、その小ささが心地良かった。圧倒的に大きなものに包まれている安心感があった。私は靴を脱いで裸足になった。砂は冷たかった。私は五本の指でしっかり地面に跡をつけながら、波に近づいた。水に濡れた砂はさらに冷たかった。そして水はもっと冷たく、氷のようだった。
私は思わず声を漏らしたが、もっと海を感じたくて前に進んだ。波が膝に当たって飛沫が顔まで飛んできた。私は笑って海水を舐めた。思ったよりも塩分が濃くてむせそうになった。私は無邪気な子どもになっていた。
あの人は靴を履いたまま波打ち際から離れたところに立っていた。表情は見えなかったが、手を振ると振り返してくれた。何か言ったが、波の音で聞こえなかった。
私は何度も波を足で受け止めた。そのたびに飛沫が全身に飛んだ。ワンピースの裾は濡れて、太腿に張り付いた。波と一緒に流れてきた海藻が足に当たって向きを変えた。
いつの間にか全身に鳥肌が立っていた。冷たい海水に加えて、海面を激しく吹き渡る風にも体温を奪われた。私は急に寒気を覚えて、現実に戻った。すでに消えかけた自分の足跡をたどりながらあの人のいる砂浜に歩いていった。
「大丈夫? 唇が真っ青だよ」
あの人が心配そうに駆け寄ってきた。私は「ちょっと寒い」と言った。
「車に戻ろう。風邪ひくよ」
車に乗ると、あの人はエンジンをかけてヒーターを最大にした。温かい風に体の震えは止まった。私はしばらくじっとして体温が戻るのを待った。