目を開けると、タバコの煙も、あの人の笑顔も消えていた。見えるのは薄暗い天井だった。私は窓の外を見た。カーテン越しに見えるのは杉林ではなく、月も星も雲に覆われた暗い夜の空だった。私が見ていたのは夢だった。私はドライブに行っていなかった。しかし、心臓はあの人に手を握られたときと同じように高鳴っていた。
私は大きく息を吸って、あの人の吐いた煙を吸おうとした。まだどこかにそれが残っている気がして。夢だとわかっていても、現実のほうがどこかリアルさに欠けていた。私はしばらく暗闇の中にあの人を探した。
本当にドライブに行けるのか最初は半信半疑だった。あの人はチョコのお礼だからと言ったが、生徒と二人で海に行くなんてお礼の範疇を超えていた。それとも私はからかわれたのだろうか。そんな疑いさえ頭をかすめた。
しかししばらくして私はあの人が本気なのを知った。廊下でいつものように立ち話をしていたとき、あの人は突然「そう言えば、どこの海に行くか決めたよ」と声を潜めて言った。
「野島崎灯台って行ったことある? そこの灯台が有名らしいんだ。海を見るついでにそこもどうかなって」
私は思わず周りを見た。誰かに聞かれることを恐れて。でも誰も私たちに注目していなかった。生徒から「キモイ」と言われるあの人がまさか私と海に行く話をしているとは誰も思っていなかった。
「車はもちろん僕がだすよ」
あの人は本気だった。私のためにちゃんとプランまで考えていた。私は嬉しすぎて、まだ夢が続いているのではないかと疑った。
「本当にいいんですか?」
「だって海行きたいんでしょ?」
「海は行きたいですけど」
「僕とは嫌だ?」
「違います。全然違います。先生とだから行きたいんです」
私はそう言ってから恥ずかしさで体中が熱くなるのを感じた。
「じゃあ、行こうよ。いつがいい?」
「いつでもいいです」
私は下を向いたまま答えた。
「せっかくなら春休みにしようか。十四日は学校だし」
私は小さな声で「はい」と言った。
「二十二日とかどう?」
「私は大丈夫です」
「じゃあ、その日にしよう」
あまりにも簡単に決まったので、これは夢の続きに違いないと思った。私は覚めるなら早く覚めろと願った。でも意識は冷たい水で顔を洗ったときのようにはっきりしていた。