【前回記事を読む】「じゃあ、叶えたいことでもいいよ」あの人との距離を縮める二度とないチャンス、逃したら一生後悔するだろう。必死に考え......「海に行きたいです」

3

口から出た言葉に自分自身驚いた。なぜ海なのかわからなかった。昨日「ライアンの娘」で観たアイルランドの美しい海の景色が頭に残っていたからだろうか。しかし、言った後、私は本当に海に行きたくなった。

「海ってどこの海?」

「海ならどこでもいいです」

「どこでもか」

あの人は顎髭を撫でながらつぶやいた。

「わかった。考えておくよ」

「じゃあ本当に連れてってくれるんですか?」

「もちろん。チョコのお礼だからね」

私は手を挙げて叫びたいのを抑えて、「お願いします」と頭を下げた。夢はまだ続いていた。私はこの夢が永遠に覚めないことを願った。

4

車の運転席にはあの人がいた。片手でハンドルを握りながらもう片方の手でタバコを吸っていた。あの人の吐く煙が窓を曇らせた。私はわざと煙に顔を近づけて肺に吸い込んだ。あの人の吐いたものを全部自分のものにしたかった。しかし、すぐにむせた。あの人が「大丈夫?」と言って横を向いた。私は「大丈夫です」と笑った。

車は八十キロを超えるスピードで走っていた。二車線の道路の追い越し車線から何台もの車を追い越していった。出発したときは住宅地しかなかった窓の外にはくすんだ色の杉の林が広がっていた。空には雲がなく、冬の日差しが杉林の暗さを少しだけ和らげていた。

私は目を細めてあの人を見た。太陽の光であの人の顔も輝いていた。髭を綺麗に剃った顎は、横から見ると鼻よりも前に突き出ていた。そして、眼鏡の奥の目は道路の先をまっすぐ見つめていた。私は改めて今自分はあの人と二人っきりなのだと思った。狭い空間に私たち以外には誰もいなかった。

「どうしたの? 眠いの?」

あの人が横を向いた。目を細めている私を見て、そう勘違いしたようだった。私は首を振った。

「いいんだよ。眠かったら眠って」

眠くなんてなかった。私はいつまでもあの人を見ていられた。瞬きするのも惜しかった。

すると突然何かが私に触れた。自分の手を見ると、骨ばったあの人の手があった。さっきタバコを持っていたはずだと思ったら、そのタバコはハンドルを握る手の指先に持ち換えられていた。私はあの人の手の重みに、胸が苦しくなった。

顔を上げると、鼻からタバコの煙を吹き出しながら笑うあの人がいた。私の心臓はついに止まった。息もできない緊張感の中で、私はあの人の手を握り返した。