ただその時、現金ではなく小切手であった事に、「これは少し面倒臭い事になったな」という気持ちが、一瞬、僕の頭を掠めたのも事実であった。現金であれば、その後、手っ取り早く礼金の事も話しやすかったのであるから。

それでも、めでたく手続きも全てが終わった、帰りの電車の中での事であった。こうして手付金も全額戻り、緊張も解けて余程嬉しかったのであろうか。佐伯さんは周りの乗客を全く気にするでもなく、憑き物が落ちた様に別人になって、僕に向ってやたら大きな声で感謝するのだった。

「横沢さんは、お若いのに本当に勇気がありますね。いや、こういう方が、世の中にいらっしゃるのですね。実のところ僕は怖くて仕方が無かったのですが、本当に感心しました。本当にお若いのに、有難うございました」

佐伯さんはそうやって、こちらが思わず気恥ずかしくなるほどの褒めそやし様で、しかも興奮気味に大声で何度も何度も同じ事を繰り返すのであった。

しかし、その時の僕はそんな事よりも、腹の中では、顔に浮かべたにこやかな表情とは全く裏腹に、ただ何度も頭を下げ続けるだけで、礼金の事などおくびにも出さぬ様子の佐伯さんに、非常なもどかしさを感じ始めていたのであった。

ところが、僕がそんな風に色々思いあぐねていると、今度は何と都合よく、いきなり彼の方から「ところで、この小切手は一体どうしたらいいんでしょうか?」と、ふだん小切手の扱いには全く慣れていなかったらしく、不安げな様子で尋ねて来たのであった。

その刹那、僕の頭の中には、彼と銀行に一緒出来る絶好の口実が出来上がっていた。つまり銀行について行けば、当然彼の方から、自発的に謝礼の事も気遣いしてくれるに違いないという考えが浮かんだのであった。

そこで僕は、すぐに御為顔になって「取引をされている銀行にですね、ご自分の通帳を持って行かれて、現金と同じ要領で小切手を入金されますと、二三日後には現金になって引き下ろせますよ。よろしければ、僕が銀行までご一緒しましょうか」とまで、言い掛けたのであった。

しかし、一体どうしたのだろうか。その話の途中で、一瞬何故か客観的になってしまった僕は、お金の事ばかり考えている自分のあまりのさもしさに急に嫌気がさして来て、さすがにもうそれ以上は何も言えず仕舞いになっていた。

どんなにそれらしく話を持って行こうとしても、僕が今度の一件を、誠意一辺倒で引き受けたものとばかり思い込んでいる、いや、いるらしい佐伯さんには、こちらの気持ちなど全く通じようもなかったのであるから。その時は本当にそう思ったのであった。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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