【前回の記事を読む】「素敵な刑事さん、すごくイケメン」…俳優レベルの容姿を持つ友人に、妻はメロメロだった。だが、彼は酒で酔いはじめると……
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香川(かがわ)舞子と出会ったのは、彼がそんな充足感に満ちた毎日を過ごしていた、初夏のとある一日だった。
非番だったその日、中岡は梅田の街をぶらついていた。休日の外出時、彼はいつもショルダーバッグを肩に掛けていた。その中には、一冊の推理小説が入っていた。彼のショルダーバッグに、少なくとも一冊は本が入っているのはいつものことだ。
彼はしばらく人の流れに身を任せて茶屋町通りを歩いていたが、ふと路地の方を見た際にヤシの木が目に留まった。気になったので路地に入って近付いてみると、それは喫茶店だった。窓越しに店内を見たところ、何人かの客はいたが席はまだ十分に残っていた。中岡がドアを引くと、人の出入りを知らせる小さな鐘がカランカランと鳴った。
店内は照度を落とした照明で照らされており、ところどころにヤシの木が置かれていた。南国の夕暮れ時みたいだな、と中岡は思いながら空いている円卓の座席に腰を下ろした。するとすぐにウエイトレスの若い女性が、いらっしゃいませ、と言って水とメニュー表を置いていった。中岡はすぐにアメリカンコーヒーを注文した。
彼はコーヒーが運ばれてくるまでの間、ぼんやりと店内を見ていた。ウエイトレスがコーヒーを持ってきた際に読書が中断されるのは好きではないので、彼はいつも注文したものが運ばれてきてからゆっくりと読書を楽しむことにしていた。
よく見ると、店内のヤシの木は精巧にできてはいるが作り物だった。店の外に置いてあった鉢植えのヤシの木は本物だったが、この店内ではまともに光合成ができるはずもないので、少し考えてみれば当然だった。
そんなことを考えていると、アメリカンコーヒーが運ばれてきた。彼はウエイトレスに礼を言うと、ショルダーバッグから推理小説を取り出した。アメリカンコーヒーの深みのある香りを感じながら、彼の謎解きの時間が始まった。
どれくらいの時間を没頭していたのかは分からないが、ふと集中力が切れた。中岡はコーヒーカップを手に取りアメリカンコーヒーを飲んだ。香りは健在だが、随分とぬるくなっていた。何気なく首を左右に回した時、一瞬彼の目に目が覚めるような鮮やかな紫色が飛び込んできた。
彼はすぐに首の動きを止め、その色を纏った物体を振り返って見た。それは、白くてほっそりとした美しい手で若い女性の口元へと運ばれた。そして、思いがけず彼女と目が合った。彼女はにっこりと微笑んだ。中岡は気まずかったが、とりあえず微笑んだ。しかし、彼の笑みはすぐに自然なものに変わった。彼女がかわいかったからだ。
「何か?」
その女性は優しく微笑んだまま中岡に話しかけた。
「ああ、すみません」中岡は思わず謝った。「別になんでもないんです」
「目に留まりますもんね、この色」
「え?」
中岡の心中を察したかのような彼女の言葉で、彼の思考は停止した。