「……最近、少し無理をしていたので、今は万全ではないですが。すぐに戻ります」

武田さんはそれを聞いて、少し笑った。

「正直なやつだな。まあいい、うちで働きながら体を戻せ」

住み込みの部屋は、店の2階にあった。6畳の和室で、窓があった。外を見ると、路地と、その向こうに小さな公園が見えた。

(窓がある)

それだけで、渉は少し泣きそうになった。ネットカフェの個室にも、納戸にも、窓はなかった。でもここには、ちゃんと外の見える窓があった。

「気に入ったか」と武田さんが言った。

「はい。十分すぎるくらいです」

「給料は手取りで17万。住み込みだから食事付き。賄いは毎日出る。最初の1か月は試用期間だ。問題なければ正式採用にする」

渉はうなずいた。

「ありがとうございます」

「礼はいい。うちは人手が足りてるわけじゃないから、こちらも助かる。お互い様だ」

その言葉が、渉には妙に温かかった。お互い様、という言葉。施しではなく、対等な関係としての言葉。渉はそういう言葉をかけてもらったことが、あまりなかった。

武蔵での仕事は、慌ただしかった。

昼間は仕込みを手伝い、夕方から開店して深夜まで働く。カウンター越しに炭火を起こして、串を焼いて、酒を注いで、お客と話す。それが毎日の流れだった。

武田さんは口数が少なかったが、仕事を丁寧に教えてくれた。魚の捌き方、串の刺し方、炭の起こし方。渉が間違えても怒鳴らなかった。「違う、こうだ」と言いながら、手を添えて教えてくれた。

(こういう大人が、いたんだ)

父のことを思い出した。でも父は、渉にこんなふうに何かを教えてくれたことがなかった。

体が少しずつ戻ってきた。賄いがちゃんと出たから、まともな食事が取れた。夜は布団で眠れた。窓から朝日が差し込んだ。それだけで、随分と違った。

1週間が経った頃、渉の頬に少し肉がついてきた。目の下のくまが薄くなった。武田さんが「顔色がよくなったな」と言った。渉は「はい」と答えた。