しばらく、シャワーの湯音だけが浴室に満ちた。幸江の呼吸が、少しずつ整っていく。やがて幸江は、自分のほうから、渉の手に自分の手を重ねた。
「……続けて、ください」
渉の手のひらが、ふたたびゆっくりと動きはじめた。幸江は今度は逃げなかった。唇から漏れる息が、湯気の中に溶けていった。
泡を落として、湯船に移った。渉は幸江の隣に並んで浸かった。向かい合わせでもなく、後ろからでもなく、ただ横に。
しばらく、2人とも黙っていた。お湯の音だけが聞こえた。
「……こういうとき、何か話さなきゃいけないんですか」と幸江が言った。
「全然」
「よかった。なんか、黙ってていいんだって思ったら、ちょっと楽になった」
渉はそれに答えなかった。幸江の横顔を少し見た。目を閉じて、鼻先まで湯に浸かっている。体の強張りが、少しずつ取れていくのがわかった。
「夫は、もう私に関心がないんだと思います。体だけじゃなくて、話も聞いてもらえなくて」
「……つらいですね」
「でも、離婚する勇気もなくて。子供もいるし。ただ家の中で透明になっていくみたいで」
透明。その言葉が渉の胸に落ちた。見えているのに、見えていない。いるのに、いないことにされている。渉は幼い頃から、そういう感覚を知っていた。
湯船から出て、ベッドへ移った。
薄暗い部屋に、ラベンダーの香りがほのかに漂っていた。渉は温めたオイルを手に広げ、幸江の首筋から肩へとゆっくり滑らせた。
幸江が小さく息を吸った。
「……温かい」
「緊張してるとこりやすいんです、首の後ろ」と渉は言いながら、親指でゆっくりと押していった。幸江の体がわずかに震えた。
「…ん、そこ」
「痛いですか」
「痛いけど、気持ちいい……もう少し強くしてもらっていいですか」
渉は力を少し入れた。幸江の喉から、抑えた声が漏れた。背中から腰へと手を移すにつれ、幸江の呼吸がゆっくりと深くなっていった。
「仰向けになってもらえますか」
幸江が体の向きを変えた。目を閉じている。バスローブの胸元が開いていた。渉は温めたオイルを肩口からゆっくり広げ、首筋の際を指の腹でなぞるように圧をかけた。
「……んん……っ」
「ここ、詰まってましたね」
渉は鎖骨の際を丁寧にほぐしながら、バスローブの内側へと指を移した。幸江が小さく息を詰めた。