2.

家を出た最初の夜、渉が泊まったのは、駅前の24時間営業のファストフード店だった。

家を借りるには保証人が必要で、それを18歳の渉は持っていなかった。所持金は、絵里子から渡された「餞別」の5,000円だけ。父の遺産も、絵里子が最後まで「あなたの分はない」と言い切った。争う気力も、知識もなかった。

渉はハンバーガーひとつを、できるだけゆっくり食べた。1時間、2時間。深夜2時、店員がモップを持って近づいてきて、わざと渉の足元の床を、ばしゃばしゃと音を立てて拭いた。

「お客さん、寝るなら別の場所で」

冷たい声だった。渉は「すみません」と頭を下げて、トレーを片づけた。明け方4時、外に出た。春の朝の風は、まだ冷たかった。行く当てがなかった。

リラクゼーションサロン「Luna」の面接を受けたのは、その日の昼だった。

面接担当者は、40代の男性だった。渉の履歴書を一目見て、鼻で笑った。

「高卒、職歴なし、住所不定。きみ、ひどい経歴だな」

「……はい」

「うちは女性専用風俗だ。何をする店か、わかってる?」

「だいたいは」

「給料は歩合。寮の家賃、研修費、備品代、ぜんぶ天引きだ。最初の数か月は、手元にほとんど残らないと思え。それでもやるか」

「やります」

即答だった。

「変わったやつだな」担当者は履歴書を裏返した。

「まあ、きみみたいに後がないやつのほうが、逃げないからな。採用」

渉は深く頭を下げた。後がないやつ。その言葉が胸に刺さったが、でも、否定できなかった。本当に、後がなかったから。

社員寮は、古いアパートを店が2人部屋として貸しているだけだった。同居する先輩セラピストは、20代後半の男だった。渉が「中村です、よろしくお願いします」と頭を下げると、先輩はスマートフォンから目も上げずに「物音立てるなよ」とだけ言った。

それから半年、その先輩とまともに話した記憶が、渉にはほとんどない。先輩は渉の炊いたごはんを勝手に食べ、洗っておいた渉のタオルを使い、それでいて渉が何か聞くと「自分で考えろ」と返した。渉の歯ブラシが、いつのまにかゴミ箱に捨てられていたこともあった。

それでも、渉にとって、その部屋は世界で一番ましな場所だった。納戸より、ずっとましだった。

次回更新は9月12日(土)、22時の予定です。

 

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