その冬から、渉は学校を休む日が増えた。

朝、起きた瞬間から体が動かない日があった。

ある日、駅のホームで、特急電車が通過していくのを見ながら、渉は黄色い線の手前まで近づいた。風がぶわっと顔に当たった。一歩、爪先を前に出すだけで、すべてが終わる気がした。

そのとき、隣で母親が小さな子供の手を引いていた。

「ダメよ、危ないから下がって」

子供の小さな手を、母親が握り直した。その指のからまり方を、渉は横目で見た。

(お母さん、と呼べた頃の俺も、ああやって手を繋いでもらってたんだ)

渉は黄色い線の後ろに、すっと下がった。

体育の授業で着替えるとき、渉は肩の青あざを先生に見られた。

「家で何かあった?」

渉は首を傾げて答えた。

「いえ、大丈夫です」

そう言って笑った。先生は少しの間、渉の顔を見つめてから、「そうか」と言って、それきり何も聞かなかった。誰も追いかけてこなかった。

助けを求めたら、助けは来るのだと、子供のとき本気で信じていた。でも違った。だから次からは、求めるのをやめた。

ある冬の夜、駅のベンチで動けなくなった。お腹が空きすぎて、足が震えていた。

ホームレスの老人が、ベンチの端に座っていた。老人は渉の様子をしばらく見て、菓子パンを半分、渉の膝の上に置いた。

「食え、兄ちゃん」

渉は何も言えなかった。涙が、こぼれた。世界で初めて、誰かが自分に何かをくれた気がした。父にも、絵里子にも、もらえなかったものを、見知らぬ老人がくれた。渉は震える手でパンを口に運んだ。冷えて固くなっていたが、ずっと、いつまでも、覚えていられる味だった。

次回更新は9月11日(金)、22時の予定です。

 

👉『わたる』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】見つめながら、触れたいという不思議な感情が芽生えた。あの人の体に、頬に、髪に、唇に。緊張感のない弛緩しきった肉体は、無警戒な心そのものだった。

【注目記事】「個人でお金を払うので、また会えませんか?」…返事を待つ。深夜になって、短く悲しいLINEが届いた。

 

ゴールドライフオンライン(GLO)は、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン(GLO)編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp