父は悠斗が生まれた日、病院から電話をしてきた。「元気な男の子だ」と言う声は、渉がずっと聞いたことのないくらい弾んでいた。
(僕が生まれたとき、お父さんはあんな声を出したんだろうか)
考えてしまってから、考えるんじゃなかったと思った。
悠斗が家に来てから、父は変わった。仕事から帰ると、真っ先に悠斗のそばに行った。「悠斗、悠斗」と呼びながら、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「お父さん、今日テストで100点とった」
「そうか」
それだけだった。父の手は、悠斗の小さな体に伸びていった。同じ手なのに、自分には届かなくなった。
渉は自分の部屋に戻り、100点のテスト用紙を引き出しにしまった。母が生きていたら、冷蔵庫に貼ってくれただろうな、と思った。考えた瞬間、また喉の奥がひりひりした。
絵里子のいじめは、父がいない時間帯にじわじわと続いた。
ある日、絵里子がトイレ掃除をしていて、渉を呼んだ。
「渉くん、これ、あんたがやって」
絵里子は便器の中に渉の手をぐっと押し込んできた。
「ここまで、ちゃんと磨くのよ。汚いって思うのは、渉くんの心が汚いから」
にっこり笑って言った。父は出張中だった。
渉は汚れた便器に手を入れた。気持ち悪さで吐きそうになった。でも吐けば、もっと叱られる。
次回更新は9月8日(火)、22時の予定です。
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