【前回の記事を読む】教育熱心な母がたった1度だけ漫画を買ってくれた。しかし、“とある行動”が逆鱗に触れ、風呂の焚き口で焼かれた。

『ジョイ・ラック・クラブ』(母と娘)

実際、母親というのは手強い存在です。娘は母親のその強さを恐れています。何故なら、娘は母親の言うことに左右されやすいということが自分で分かっているからです。それでも、その強い力への畏怖を乗り越えた時に初めて真の自立が得られるということも分かっているのです。

だから、母親を乗り越えるために娘はすごいエネルギーを使うのです。その点でこの本の少女に私はすごく共感しました。彼女は自分らしくありたいと努力していましたからね。私も努力はしたのですが、彼女ほど上手くいきませんでした。

エイミ・タンと思われる少女はとっても賢かったのです。彼女は子どもの時にもう自分以外の誰にもなるものかと心に決めていたのですから。とても自我の強い珍しい子どもです。多くの娘達は、親の期待に応え自分以外の何者かになろうとして無駄な努力をするものですもの。

私は彼女が両親や他の聴衆の前でわざと間違えて無茶苦茶にピアノを弾く場面では大笑いしました。でも読み終わった時には、そうせざるを得なかった彼女の気持ちを考えて、おかしいのと同時にちょっぴり悲しくなって涙ぐんでしまいました。

「何て勇気があるのだろう。両親はどんなに驚き恥ずかしかっただろうか」それに、彼女のピアノの先生は耳が悪くなっていてピアノの音が聞こえなかったので、指揮棒を振り続けていたのです。私はこんな風には親に恥をかかせたことはありません。宿題はちょこちょこ忘れていましたけど。

11歳の私にできたことと言えば、ただピアノのお稽古をやめさせてほしいと頼むことでした。

母は「いつかきっと後悔するよ」と言ってしぶしぶ許してくれました。その時は本当に母に感謝しました。今ピアノを上手に弾けないから、自由自在にピアノを弾ける人を見れば、ちょっと羨ましい気がしますが、後悔はありません。誰かの希望に応えるために生きるのは疲れるし、自分に対しても正直ではない気がしますから。

色々な苦労があるにも拘わらず、アメリカで良い生活をしようと奮闘するお母さん達の強さには感動しました。彼女らは他人から何とかして家族を守ろうという気概に満ちていました。恐ろしい戦争をくぐり抜けた彼女達の強さは私の母の強さと異なるものではないと思います。

例えば、エイミ・タンのお母さんは桂林の戦火の中を逃げていた時、道の傍らに双子の赤ちゃんと宝石を捨てなければなりませんでした(宝石は双子の赤ちゃんを拾って育ててくれる人へのお礼でした)。