【前回の記事を読む】耳を見せるだけで月20万円。「週2回ここへ来て」と公認会計士の男に持ちかけられ……
耳
耳に残る ほのか三十四歳
今回でやめようと思いながらほのかはもう3週間、速水とお茶をした。男性は女性に比べて美容院でも飲食店でも決まった店に通うという。要はいつも同じカフェ。ほぼ同じ席。
体型を保ちたいほのかは、アメリカーノかカモミールティー。かたや速水は、必ず生クリームが乗ったラージサイズ。甘いドリンクを時間をかけて飲み、2度目に会った時からは口数も少なく、ほのかのたわいもない話に静かに相槌を打ちつつ、目線はずっとほのかの左耳。
いつからかほのかは頼まれなくても、速水と決まった角度ではす向かいに座るようになった。よくわからないのは、速水はどうもほのかの左耳だけを愛でている。今日も出がけに鏡に映して確認したが、左耳と右耳の違いが全くもってわからない。対称に思える。
速水と出会ってちょうどひと月ねとつぶやくと、速水が珍しくほのかの目を見つめ返して来た。
「そうです。今まで有難う。貴方がいずれ35歳になったら、貴方の右耳が重要になる。つまり今のぼくとの相性は変わる」
何を言われているのか良くわからなかったが、いきなり終わりを匂わされて、寂しさがこみ上げて来た。いやまさか、変態の彼が去って行くのが辛いなんて。
屈託のない明るい目で速水が頷いた。
ぽっかりと開いた穴に落ちていく切なさ。これからどうしよう。いずれどころか誕生日はもうすぐだ。
速水との約束の前日、洋服を確認してデパコスで買い揃えたパックをして、いつもより念入りにブロー。でも彼の目は私の耳しか見てはいなかったけれど。
まさかと思う。好きになってしまったのか。緩やかなこのコーヒータイム。気がつけば智樹にもいわないような自分の恋愛の思い出やいつの日かセレクトショップを開きたいという夢まで語っていた。買い集めたティーカップや置物、ブローチを並べたかった。その中にはホントは売りたくない物もあるけれど。
彼になら何でも話せた。なぜならば言葉は彼の前をスッと通り過ぎ何も残さないから。それでも生身の男性と話すこの時間を、ほのかはいつからかかけがえのない時間と捉えていた。