「お母さんは仕事が忙しそう。でもお父さんのこと、私のことより心配しているみたい」
「そうか」
茅根はしばらく絵里に接していなかったが、大人びてきているのを感じた。思春期の娘の成長に目を見張った。
「お父さん、お母さんと離れ離れで寂しくない? ホームシックとかなってない?」
「そりゃ、寂しいよ。絵里の顔も見たいしね」
「ほんと」
「本当さ」
そんなたわいもない会話をしているうちに明治村に十一時過ぎに到着した。茅根は入場する門前で絵里の写真を撮った。
「博物館明治村の正門は旧制第八高等学校、新制名古屋大学教養学部の正門だったそうだ」
「さすが詳しいんだね」
「さー、どこから見て回るかな。ここは五つのエリアに分かれていて、一丁目から五丁目の住居表示になっている。どれもこれも丁寧に見て回ると一日じゃ見学できないし疲れるよ。二時間から三時間がいいところかな」
「お任せしまーす」
「そうか。じゃ、お父さんが見せたいところでいいかな。途中行きたいところがあったら言いなさい」
絵里は案内マップを見ながらどこにするか決めかねていた。
昼食には少し早かったが、展示建築物の大井牛肉店を見たついでに牛鍋を食べた。大井牛肉店は神戸の元町にあった建物で、居留地に住む外国人相手の牛肉屋兼牛鍋屋だった。絵里は「おいしい」と言って満足そうであった。食後、早速見学を始めた。
一丁目では文明開化を思わせる明治初期の洋館建築・西郷従道(さいごうつぐみち)邸を見て森鷗外・夏目漱石住宅を見学した。森鷗外が借家して一年余り過ごし、その後漱石が三年余り住み『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』などを執筆したと言われている。東京汐留(しおどめ)にあった鉄道局新橋工場内には豪華な御料車(ごりょうしゃ)が配置されていた。
二丁目はレンガ通りに沿って歩いた。赤レンガの建造物が並んでいた。
三丁目は入鹿池(いるかいけ)に面して西園寺公望(さいおんじきんもち)別邸・坐漁荘(ざぎょそう)、京風の数寄屋造りだった。現存する最古の洋式灯台と言われる品川燈台、さらに北里研究所本館を見て回ったが、ドイツ・バロック風の木造二階建てで清楚な感じの建物だった。