室町幕府の末期
第十二代将軍義晴は、管領大名の庇護のもと、戦火を浴びながら転々と御座所を移しつつ、幕府の業務を遂行した。
十三代将軍義輝は十歳で将軍に就任した。
就任時は管領細川晴元と手を組み、台頭する三好勢に対し協調と対抗を繰り返しつつ、一時は制圧したかに見えたが、在位約二十年、三十歳の時、三好三人衆の突然の幕府館討ち入りにより、応戦空しく殺害された(永禄の変)。
三好三人衆は、四国阿波より身を起こし、当初は管領細川家の配下であったが、近畿一円を制覇し、主家細川家と争って勝利し、遂に京を制覇するに至った。
永禄の変で将軍義輝を殺害した三好勢であったが、自身では将軍にはなれず、前将軍義輝の従弟であり、阿波に逼塞(ひっそく)していた足利義栄を担ぎ出し、武力と金力で、第十四代将軍の宣下を得た。
しかし義栄は病弱で、在位八か月で病死した。
その後に第十五代将軍となる足利義昭は第十三代将軍義輝の弟で、永禄の変の時点では奈良の興福寺一乗院門跡の僧であったが、身の危険を覚り脱出し、自身が将軍家を継承するため、有力武将の下に身を寄せつつ朝廷に工作を続けていた。
三好の武力を背景とする義栄に先を越されたが、織田信長の協力をえて、三好勢を京都・近畿より放逐し、第十五代将軍に就任した。
信長の協力により将軍職に就任した義昭であったが、両者はいつしか反目しあい、ついには宇治の槇島城で直接の戦いとなった。
将軍義昭は敗北し、備後鞆の浦に落ち延びたが上京かなわず、一五八八年、秀吉の時代になって、将軍職を返還し、室町幕府は幕を閉じた。
日本史上は、この槇島城の義昭の敗北をもって戦国時代の終わりとし、それ以降を安土桃山時代と呼んでいる。
豊臣秀吉の全国制覇によって、戦国時代からの全国的な騒乱は終焉に向かうのだが、この期間にも様々なドラマが展開された。
将軍及び全国を統括すべき幕府中枢がこのような状態になって、全国各地に対する幕府の統制力は完全に失われ、全国各地で、我欲による無限の弱肉強食の争いの世になった。
この時代、自己の利益のためであれば殺人は正当な行為であった。こういう騒乱は、全国各地で起こったことであるが、その中でも、壊滅状態の幕府にとって代わり、天下制覇を目指す大名があらわれた。
織田信長・豊臣秀吉そして徳川家康である。その特性を詠んだ和歌がある(現代語風)。
織田信長「鳴かざれば殺してしまえほととぎす」
豊臣秀吉「鳴かざれば鳴かせて見せようほととぎす」
徳川家康「鳴かざれば鳴くまで待とうほととぎす」