それではボードレール流の楽しみ方、群衆の中に己を忘れるようなやり方でない楽しみ方、「一種の売春」とは異なる、楽しみ方とはなんであろうか?
ここまでで整理しておきたいのは、天才は自己を失わず、常に一であり続けていながら、己をすべて外部と他者と融合することである。
つまり、愚かな売春と高尚な売春があり、愚かな売春は「二」であり、高尚な売春は「一」であり続けることなのである。
すなわち、天才は他者と融合しつつ、外部に出ることはないという自己矛盾を含んでいる。
「最近人々の話題にのぼる権利のうち、人がすっかり忘れているものがある─その権利を証明すれば誰だって興味をそそられる─それは自己矛盾の権利だ」(『小散文詩』(シャルルボードレール、阿部良雄訳、筑摩書房1987年)と、ボードレールは自己矛盾について語っている。
また詩人はフローベールに宛てて、「私が考えたり、あるいは自己矛盾する楽しみを放棄しないことに、よりよくご注意ください」と書いていた。
自己矛盾の存在を認め、それが魅力あるものとしている。
ここで、自己矛盾の例として、1851年の彼の変化の幅を確認したい。
「道義的な演劇と芸術」《エミール・オージェ批判》の批判的攻撃において、彼は純粋芸術の権利を主張した。
しかしほとんど同じ時期に、芸術は「社会的効用や道徳から離れることはできまい」と宣言する(彼の第一のピエール・デュポン論)。そして芸術のための芸術派の友人たちと対立した(異教派に対する攻撃記事)。
つまりボードレールは商業主義を否定しつつ芸術至上主義も否定するのだ。
同じ頃、エドガー・アラン・ポーについて「彼は時としてひどい自己矛盾を犯した。しかもそれが彼の偉いところなのだ」とボードレールが書いたことも理解しうる。
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