阿部良雄が言うように、あるいは自らが「自然の全体が原罪の性質を帯びている」と述べるように、ボードレールは自然とも距離をおき孤独であることを楽しむ。

一方で、孤独を楽しめない者には強烈だ。

『一人でいることができないという、この大いなる不幸!……』とラ・ブリュイェールはどこかで言っているが、これは、どうやら自分自身に耐えることができないのを怖れるがゆえに群衆の中に己を忘れるべくかけ込んでゆく者たち皆を恥じ入らせるていの言葉だ。

『我々の不幸のほとんどすべては自分の部屋に留まっていられなかったことからくる』と言ったのは、もう一人の賢者パスカルだと思うが、

かくして彼は、幸福を運動の中にまた現世紀のあっぱれな言語をしゃべる気が私にあったなら友愛的なと呼ぶであろう、一種の売春の中に求める、あれら気のふれた者たち皆を沈思の独房に呼び戻そうとしたのだ(『ボードレール全集』パリの憂鬱23 孤独)

また、「悪魔が好んで荒蕪の地に出没することも殺人と淫蕩の〈精神〉が寂莫境において見事に燃え上がることも私は知っている」とも語っている。

いずれにせよ、多くの一般人、普通の世間の人々に孤独を楽しむことは難しい。