2 知事公館
きりりとした朝の空間に都知事が姿を現した。
「おはようございます」と声がかかり、夫人の差し出す靴ベラで靴を履くと、知事夫人、家政婦、公館長、相川主任、泊まり込みの嘱託員5計人が一斉に「行ってらっしゃいませ」とあいさつをする。
火曜日から金曜日にかけて毎朝、知事公館の玄関の間で行われる出立の儀式だった。
その日、知事は歩きながら相川の下半身を指さして微笑んだように見えた。
知事、SP、秘書を乗せた知事公用車が丸の内の都庁舎に向けて出発した後、相川は自分の股間のチャックが開いていることに気が付き、穴があったら入りたいとはこのことかと思い知らされていた。
知事公館に勤務するようになって1か月足らずの4月末の出来事だった。
現在は廃止されている東京都知事公館は、渋谷区松濤の広大な土地に松平家の孫娘の嫁入りに際し建築された中庭付きの日本家屋だった。
首都東京を預かる都知事の責務をきわめて厳格にとらえていた当時の知事は、月曜夜から金曜朝まで知事公館に寝泊まりし、金曜夜から月曜朝まで永福の私邸で過ごすいわゆる金帰月来(きんきげつらい)の二重生活を在任の16年間続けたただ一人の都知事である。
相川は前年実施の主任試験に合格し、清掃局主事から総務局知事室主任に昇格した。
池袋にある豊島清掃事務所でごみ収集の職員たちの安全衛生を担当していた事務主事から知事室主任への人事異動は異例の抜擢といえた。
相川は、ここに至るまでの豊島清掃事務所での4年間の苦労を振り返った。
小学校の事務職員として東京都に就職した相川は5年間2校の勤務を経て、ちょうど30歳を迎えた年に、当時まだ東京都が実施していた清掃事業の出先事務所に局間異動(教育庁→清掃局)により着任したのだった。
同じ都庁職員とはいえ学校事務といわゆる知事部局の事務とでは内容に大きな隔たりがあり、学校事務あがりには見慣れぬ様式や用語だらけで、赴任当初は些細なミスを連発するという屈辱的な毎日が続いた。
豊島清掃事務所は池袋という副都心の廃棄物処理の最前線を担う都内屈指の大規模事業所で、分室3か所を含め職員数は優に300人を超えていた。
大半は朝8時から15時にごみを収集する現業職員で、公務員でありながら正式な労働組合を結成する権利が認められていた。
相川は現業職員の給与や福利厚生を担当するほんの一握りの事務職員の一人だった。
通常の庶務事務以外では、住民からの粗大ごみ収集依頼の電話に対し、ゼンリンの住宅地図を見ながら内容や分量を聞き取る仕事があった。
この仕事を経験した担当者は池袋周辺地域の路地という路地をくまなく知ることができた。
当時まだ無料収集されていた粗大ごみの中には業界用語で「出物(でもの)」という新品同然の高級家具や電化製品があり、現業職員の中にはいったん収集した後こっそり持ち帰っている者もいた。
親分肌の分室長の屋敷に招かれた際、寝室に天蓋付きのベッドを発見して腹を抱えて大笑いしていると、分室長の言い訳がふるっていた。
当時いわゆる億ションでは時々こうした希少な高額物品が粗大ごみになるが、どうやら愛人が旦那を替えるとベッドだけはどうしても新調したいとのことで、こうした「出物」がたまに出るのだ。
「もちろん女房には新品だと言ってあるけどな」
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